「アメリカから帰国したな、と実感するのは、SNSにスキンケア、美白、整形、脱毛、メイクといった広告がたくさん出てきたときです。中でもダイエットや減量をPRする美容クリニックの広告は本当に多い」

【写真】デミ・ムーアの「分身」を演じたマーガレット・ケアリー

こう語るのは、アメリカのハーバード大学に勤務する小児精神科医であり 、『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』 の著者である内田舞さんだ。内田さんは20年以上アメリカに住み、仕事などで日本に帰国するたび、アメリカとは比較にならないほど「ルッキズム」のストレスを感じるという。

「“2ヵ月で15kg減量”、“そんなに太っていて大丈夫?”と、医学的にも危険な数値の提示やルッキズムを煽る表現が想像以上に多くて、驚きを通り越して怖くなります。アメリカでもダイエットの広告はありますが、見た目に関する表現に関しては規制されている部分もあります。ここまで外見重視、痩せていることが正義という社会に生きることは、身体的にも精神的にもストレスになり、認知のゆがみを生むことになると思います」(内田さん)

その内田さんが綴るルッキズムの危うさを。前編『「細さ」「若さ」「美しさ」こそ正義という洗脳の生き地獄。日本を出て気づいたルッキズムの闇』 に続き、内田さんが懸念する日本の「痩せていることが正義」というダイエット問題で具体的に起きている危機について伝える。

以下、内田舞さんの寄稿です。

医師も警告する低体重な女性が多い日本
日本では、低体重の20代の女性がおよそ2割もいて、この割合は先進国の中ではもっとも高くなっています。なんと5人に1人の成人女性が「低体重・低栄養症候群(FUS)」という状態にあると、2025年4月17日に日本肥満学会は警告を表明しました。

これまで低体重・低栄養症候群(FUS)は、南アジアやサハラ以南のアフリカ諸国など、貧困や紛争に悩む国などで発生することが多いものでした。ところが、近年では、そういった問題がない国でも発生しています。その筆頭といえるのが日本です。

低体重・低栄養症候群(FUS)は、摂食障害のリスクだけでなく、骨密度の低下による骨折が起こりやすくなる、月経周期の異常、不妊、妊娠出来ても子どもが低体重になる、糖尿病のリスクなど、様々な問題を発生させます。また、低体重は心に影響が及ぶこともあり、うつなどとも関係すると言われています。

ですが、日本肥満学会の警告も、「痩せたい」と思う人にはなかなか届きません。今もSNSや動画サイトには、「160cm、あと2kg痩せて38kgになりたい」「45kgなんて死にたい。あと5kg痩せたい」と40kg以下を目標値にする若い女性たちの発信がアップされています。

また、そういった動画を一度見ると、ダイエットに興味があるユーザーだと認知され、美容クリニックやエステのダイエット系のPR動画も流れてくるようになります。そういった発信の中には、#MDダイエット #クリニックダイエットといった#をつけて、無許可無承認のダイエットサプリメント購入を誘導するものもあります。実際に、健康被害も出ていて厚生労働省もたびたび警告しているようですが、「とにかく痩せたい」というニーズが多く、対策してもイタチごっこになっているという現状があります。

さらに、見た目が変化した有名人に対して、「劣化した」「終わった」「表に出てくるな」と誹謗中傷するコメントも非常に多く、ルッキズムなどの問題を指摘しても、そういった差別的な風潮は根強いと感じます。
出産後に体型が大きく変化したとき
私は、日本のこの「痩せなければならない」という現状とプレッシャーに対して、強い思いがあります。

実は、私自身も妊娠出産のたびに大きく体型が変わり、特に3人目の出産後は今までにないほど大きくなった自分の姿に、鏡を見て悲しくなることがありました。でも、そこで気づいたのは、出産によって大きく体型が変わる前から、私は「自分の体型を好んだことはなかった」ということでした。「こう思うのは自分だけなのか」と思い、周りを見渡してみたのですが、痩せていても太っていても、「自分の体型を大好きだ」とキッパリと言える人がほとんどいないことに気づいたのです。みんな「何かしらの不満」や「自分が求める姿と違う」という思いを持っていました。

そのことに気づいてみると、「痩せたい」と思う気持ち、とは一体どういうことなのか疑問を感じるようになったのです。

「痩せれば自分はキレイ」と思って、みんな痩せようとしてるけど、痩せても自分の容姿を良いと思えない人の方が多い。だったら、別に痩せなくてもよくないのではないか? 結局はどんな体型になっても満足できないのなら、特定の体型を目指すのではなく、自分をそのまま愛してあげていいんじゃない? そんな風に気持ちが変化していきました。

3人の人間をお腹の中で創り、産み出したこの身体の自然な変化を恥じる必要もないし、ましてや、食べることを制限して無理なダイエットをしてその身体を罰することをする意味があるのだろうか? 私は自分自身に問いかけました。だったら、気持ちよく運動をする。体を動かすことは大好きなので続けていこう。でも、仕事も子育ても頑張っている身体が「ほしい」と求める栄養素を与えずに我慢することはしない。だから、食事制限は一生しない、と私は決めたのでした。そう答えが出てからは、体型が大きくなったり小さくなったりすることがあっても「それでいい」と思えるようになりました。
本当に「痩せる=健康」なのか?
「そんなことを言っても、太るのは健康によくない」と思う方は少なくありません。SNSなどでボディ・ポジティブな発信をすると、「太ることは悪」とばかりに、健康情報で圧をかけてくる通称「健康警察」が集まってくるという話を聞いたことがあります。

ですが、本当に、「痩せる=健康」なのでしょうか?

重度の肥満は高血圧、心臓病、また新型コロナも含む様々な感染症にかかった際に重症化するリスクも高くなるというデータはあります。医学的にも栄養教育やダイエットが重要である点は間違いではありません。しかし、健康というものはもっとずっと複雑なものでもあるのです。

先日、若くしてがんを患い闘病している知人と話しをしたのですが、彼ががんに罹患しているとは知らない人から、「痩せた体型をたびたび褒められた」と語っていました。彼は、「社会がジャッジする体型の良い・悪いって超無意味だな」と語り、その言葉の重みを私は感じました。また、私が大好きなフィギュアスケート選手が「以前、摂食障害で苦しんでいたときに体型を褒められて、食べたものを吐いたり、食べるものを極端に制限していた当時の行動を肯定されたと感じた」と話してくれて、私の視野はとても広がりました。

私自身も周囲が気づくほど痩せた時期が過去に数回ありました。それは、研修医時代当直が続き、睡眠不足と常に戦い、食欲もわかなかったときです。また、医学生時代にかなり厳しいテスト日程で、充分な食事の時間が取れなかったときも同様でした。他にも、痩せたのは、感染症にかかったり、お腹を壊したときなど、むしろ不健康そのもののときほど体重は減少していました。多くの人は、太ったときには「不健康」とか「だらしがない」「怠け者」と人は言いがちですが、実際に思い出してみるとそうではなく、逆もあることに気づきます。

体重の増加には、様々な要因があります。特に女性の場合は、女性ホルモンの影響などで体重が増えることもあります。また、治療薬の副作用で体重が増えることもあります。こういったケースは不健康なのではなく、健康になるプロセスとして体重が増えているといえます。体重が増加する事情は様々であり、どんな理由であっても、体重の体型の変化に対して他者が「不健康だ」「だらしない」とジャッジすることではないのです。
友人たちが示してくれたアクション
アメリカ人の友人は現在40代半ばですが、若かった頃に、極端な食事と運動で減量した経験があったそうです。彼女は、少し前に体調が悪くなり、かかりつけ医に診てもらったところ、血液検査で異常がでました。その結果を見て、医師は詳細に検査する前に「肥満が影響していると思う」と言ったそうです。しかし、実際検査をしてみると、血液検査で出た異常値は感染症が原因だったことが判明しました。

友人はその医師に「あなたが『肥満の影響だ』と言ったことで、摂食障害の経験がある私の脳内は、とても危険な考えがグルグルと蘇ってしまった。実際は感染症だったのに、『見た目が太った人に医学的な異常があった場合は、すべてはその人が肥満であることが原因で、肥満になることを防げなかったその人に責任がある』という無意識の偏見があるのではないか? その無意識の偏見は医学的な判断を曇らせたり、あるいは必要な判断を遅らせてしまうこともあるのではないか? こう言った間違った判断や偏見を再び繰り返さないためにもこのことについて考えてほしい」と、丁寧に思いを伝えてお願いしたそうです。

これはとても大事なメッセージです。友人が、医師に対して臆せず、意志を伝えられた勇気と、私にこの経験を話してくれたことに感謝をしたいと思いました。

また、私が通っているジムではこんなことがありました。ジムには、会員がBeforeとAfterの2枚の写真を貼って、入会してどのような変化があったかをコメントする展示があります。最近、私のジム友だち数名がその展示に変化をもたらしています。一人の友人は、腕立て伏せができるようになった喜びについて書き、しかし体型の変化については触れず「写真でわかるような変化のために筋トレしているわけではない」とBeforeとAfterは全く同じ写真を提出したのです。もう一人の友人は、「以前は育児のトラブルひとつひとつに一喜一憂していたが、毎日運動している今は、子どもが部屋を思いっきり散らかしても怒鳴らずに対応できた」とジムの影響で変わった心境を語り、同じ日に撮影した2枚の写真を載せました。

私はそれまで深く考えたことがなかったのですが、確かにBeforeとAfterの2枚の写真を並べるのは、ひとつの体型の方がもうひとつよりも「良い」と判断しているからです。しかし、実は身体というものは、太る・痩せる以外の変化も含めて、時と共にどんどん変わっていくものであり、2枚の写真に映る差によってどちらが良いと言えるものではありません。そんな当たり前のことに気づかせてくれたジム友の行動にとても感謝しています。
外からの物差しは実は不確かなもの
実は6年ほど前から、私が勤めるハーバード大学医学部附属病院であるマサチューセッツ総合病院でも、大きな体型の人に対して医療者が考えるべきアクションがありました。大きな体型の人に対して、医療者が無意識の偏見を持つことで、その人たちが受けられる医療が変わってしまうというデータを提示し、「大きい体型の人は〇〇だ、と思うことは無意識の偏見で間違っていることも多い。どのような体型であっても、誰でもリスペクトと的確な医療を受けるに値する」と意識するよう、講義が行われるようになりました。

確か、数十年前に見たテレビ番組だったと思います。日本人スタッフがとあるアフリカの村で、「この村でみんなに絶世の美女と讃えられている女性はこの中の誰でしょう」と、日本の女性芸能人の写真が並べられたパネルの中から当てるというものがありました(今考えるとずいぶん失礼な番組ですね)。

そこで、日本の回答者は、誰一人その村で絶世の美女と呼ばれた女性を当てることができませんでした。それを見て、美の指標はところ変わればこんなにも違うんだ、ひとつの指標における「絶世の美女」ですら、別の指標の地域や時代には特定することすらできないことに、驚き、納得したことを覚えています。「そんな移ろいやすく、もろいものに、外的な評価に合わせて、自分を変える必要はない」と心に刻まれた出来事でもありました。

こんなふうに書いていますが、私自身、外見にまったく興味がないわけではなく、美しいと思われたいという気持ちも正直にお話すれば、もちろんありますし、外見を揶揄されるとやっぱり気分は凹みます。しかし、そんな複雑な気持ちもすべてをひっくるめて、やはり「自分は自分でいい」と思うのです。そして、それは誰にもジャッジされるべきことではないのです。

美容にパッションを感じる方はとことん自分にとっての美を楽しんで追及すればよいと思います。しかし、日本社会全体としての容姿についてのプレッシャーやジャッジメントはもう少し減ってもいいと感じます。そうなることによって、より多くの方が自分らしさを発揮して、自分らしい冒険、自分らしい表現ができるようになるのではないか....と、私は思うのです。

最後に、2025年1月に行われたゴールデングローブ授賞式の会場で、『サブスタンス』で主演女優賞を取ったデミ・ムーアのスピーチが本当に素晴らしかったので残します。デミ・ムーア自身、ルッキズムの呪縛に苦しんだ経験があるからこそ、その言葉は重みがあります。多くの女性がこう言った率直な声を挙げられる社会になりますように。

「最後に、この映画(『サブスタンス』)が伝えたいことをお話したいと思います。私はずっと自分はこの業界で成功するための要素を“充分に”持っていないと思っていました。私たちは誰でも、“充分に”賢くない、美しくない、痩せていない、成功していないと思うことがありますが、そんな思いを抱いたことのあるみなさんに、ある女性が私に伝えてくれた言葉を届けたいと思います。

『あなたは一生“充分”でないかもしれない。でも、もし充分かどうかを測るその物差しを手放すことができたら、あなたという人の素晴らしい価値に気づけるはずよ』と……」

引用元:
紛争や貧困地域で蔓延する低体重・低栄養症候群が日本で増加。「痩せることが正義」の危うさ(Yahoo!ニュース)