早産や重い病気の赤ちゃんを受け入れる新生児集中治療室(NICU)の最前線に立つ神奈川県立こども医療センターの新生児科部長、豊島勝昭さんが懸命に生きる赤ちゃん、家族の思いを伝える「命の授業」を学校で行っている。医療現場の現実、命の重みを伝え、病気や障害のある子供が生きづらさを感じることが少ない未来につなげようと、15年で県内を中心に87回の授業を重ねてきた。地元の子供たちの視野を広げ、新生児科医を目指す人が出るなど思いは受け継がれている。
厳しい現実に涙
同センターを退院した赤ちゃんの誕生会を家族が祝う映像がスクリーンに映し出された。「この子は11カ月目でお亡くなりになった。なぜ誕生会をしていたと思いますか?」。6日、洗足学園中学校・高校(川崎市高津区)の講堂で豊島さんは約260人の生徒に問いかけ、話し合うよう促した。
NICUで懸命に生きる赤ちゃんのために毎月、誕生会を開く家族、病院スタッフもいることを説明。「(1カ月後に)どうなるか分からない状況だと、毎月でもお祝いしたくなるんだ」。厳しい現実に講堂は静まりかえり、涙をぬぐう生徒、教員もいた。
生きて自宅には帰れないかもしれない赤ちゃんと両親がNICUで一緒に過ごし、お風呂に入れたり、添い寝をしたりした様子の映像も流された。7日目に亡くなった子との日々をかみしめ、3年後に同センターで生まれた子は「日々」と命名されたという。豊島さんは「長生きを目指すことは大切だけど、生きている毎日を大切に過ごす気持ちも忘れず、赤ちゃんにその日できることを家族とNICUスタッフで毎日考えている」と話す。
未来への種まき
命の誕生を伝え、自分事として考えてもらう命の授業を平成20年、始めた。当時は産科やNICUの医療者のなり手不足から周産期医療崩壊を危惧し、生徒の中から医師、看護師を目指す人が出てくるかもしれないという未来への種まきの願いもあった。
授業を重ねる中、NICUを退院し、病気、障害とともに生きる子供と学校で再会し、先生や友達に支えられている様子を知った。「学校は街の要、社会の窓。学校で小児医療の今を話せば、街が変わるきっかけとなり、NICU卒業生と家族の応援になる気がしている」。授業で障害のある子供の生活、家族の言葉なども伝え、障害の意味について生徒に問いかける。
洗足学園中学校・高校ではこれまで8回、授業した。中学2年の女子生徒(14)は授業で「自分が生まれたときに親、医療関係者、色々な人にしてもらったことを、自分も返したいという思いが湧いた」という。別の中学2年の女子生徒(14)は「命は病気の人にとっては欲しくて欲しくて仕方ないものだから、いま生きられていることに感謝したい」と語った。
新生児科医を志す人も
医療者の道に進む人もいる。同校で中学2年のときに授業を受けた大学医学部5年、市村あみさん(24)は、大人の生活習慣病などと違って赤ちゃん自身に病気になる理由はないという授業の内容が「心に刺さった」。新生児科医を志し、高校2年、今年1月にも豊島さんの講演に足を運んだ。
「病院では考えないといけないことが色々あると思うけど、その中でもどういう選択が患者さんにとって一番いいのかを軸にして考える。そんな医師になりたい」。市村さんは決意している。(高久清史)
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遺族「命の輝かせ方を考えるきっかけに」
昨年11月、公園で笑顔を見せる仁くん(家族提供)
昨年11月、公園で笑顔を見せる仁くん(家族提供)
豊島勝昭さんの「命の授業」で紹介されている子供の1人、小学生の仁くんは昨年12月、県立こども医療センターで8歳5カ月の生涯を閉じた。長くは生きられない可能性と向き合い続けた家族は外の世界を経験してもらうためのお出かけを大事にし、毎月、誕生会を祝った。40代の母親は命の授業が「命の輝かせ方、生き方を考えるきっかけになってほしい」と語る。
今年3月、東京都内の中学校で行われた命の授業で、スクリーンに仁くんの写真がたくさん映し出された。会場後方から見つめる教員の女性は顔を伏せた後、天井を見上げながら泣いた。同校で働く仁くんの母親だった。
終盤に豊島さんからマイクを渡された母親は教え子たちに語り掛けた。「うちの子はいなくなってしまったけど、誰かのためになれるならいいなと思い、豊島先生をお呼びした」
仁くんは平成27年6月26日夜、同センターで生まれた。出産前に染色体異常の「18トリソミー」が判明。「仁くんにとっての1日は、私たちの1年、10年にあたるかもしれない。おうちに帰ってみませんか」。豊島さんの言葉に背中を押されて在宅医療を決断、8月に退院した。
母親は「どれだけたくさんの経験をさせてあげられるかを常に考えた」。12月末に父親の赴任先であるインドネシアに渡り、3カ月間、3人で暮らした。帰国後も新幹線での旅行、温泉、雪見などの経験を重ね、小学校に入学。毎月の誕生会はプリン、アイスクリームなどで祝った。
昨年7月には東京ディズニーランドへ。夜のパレードを見た仁くんが車椅子の上で腕を動かし、後ろから付き添っていた母親は車椅子の振動で「あ、楽しんでいるな」と感じた。
仁くんは体調を崩し12月上旬に同センターに入院し、13日に両親、弟に見守られながら亡くなった。つらかったね、でも、頑張ったね、偉かったね…。家族は仁くんに語り続けた。
病院スタッフたちが次々と部屋を訪れ、「空に行くのは早すぎるよ」「みんな悲しんじゃうよ」などと思いを伝えたという。夜、仁くんが自宅に戻る際は1階に多くのスタッフが集まり、見送った。母親は「ありがとう」と言いたかったが、涙で言葉がでなかった。
母親は命の授業を受けた生徒に「世の中には知らないことがたくさんあると気付き、社会を変えていけるような大人に成長してくれたらうれしい」と期待する。
引用元:
重い病気の赤ちゃん、毎月祝う誕生会 新生児科医が「命の授業」で伝える尊い日々(産経新聞)