「子どもはラクラクとことばを覚えられてうらやましい」「幼い時から外国語に触れていたら、今頃はバイリンガルになれたのに…」。いずれも「ことばの学習」についてよく耳にする一言です。一方「赤ちゃん研究員」の力を借りて、人がことばを学ぶプロセスを明らかにしてきた東京大学の針生悦子先生は「赤ちゃんだってことばを覚えるのに苦労している」と断言します。その無垢な笑顔の裏で、実は必死にことばを学んでいた…あなたは信じられるでしょうか? 書籍『赤ちゃんはことばをどう学ぶのか』をもとにした本連載で、赤ちゃんのけなげな努力に迫ってまいりましょう。

【グラフ】胎児に音はどう届いている?

* * * * * * *

◆ことばは胎内でどう聞こえるのか

実は、胎児の聴覚は妊娠24週頃になれば働き始めます*1。

ですから、生まれる前に耳にした音を赤ちゃんが覚えていたとしても、何の不思議もありません。ただ、実際に胎児が置かれている状況を考えてみると、声や言語は、私たちがふだん耳にしているのとは、かなり違ったふうに聞こえていると思われます。

私たちは、音の振動を鼓膜や骨で感じ取ることによって、音を聞きます。しかし、羊水に浮かぶ胎児の耳には詰めものがされたような状態です。骨もやわらかいので、音の振動が伝わりやすいとは言えません。

ですので、そんな胎児が“聞く”音は、私たちがふだん聞いている音よりかなり小さく、ぼやけたものになっているはずです。

また胎児は羊水に浮かび、その周りを膜や脂肪で包まれています。それらは、外界から伝わってくる音を吸収してしまいます。結果として、外ではかなり大きかった音も、胎児に届く頃にはだいぶ小さくなります。

◆言語の音として聞き分けることはできない

図表5*2は、母親の身体の外で90デシベルだった音が、子宮や胎児の内耳に届くまでのあいだにどれだけ弱まるかを、周波数レベルごとに示したものです。

ハキハキした話し方で会話するときの声の強さが65〜75デシベルであることを考えると、“聞こえる”強さで胎児に伝わるのは、周波数が400ヘルツ以下の音であると考えられます。

男性の声の高さは平均125ヘルツ、女性の声の高さは平均220ヘルツなどと言われます。ですから、胎内の赤ちゃんに、大人たちの声は“聞こえる”ということです。

ただし、125ヘルツとか220ヘルツというのは、あくまで声の土台の部分の高さです。話す声が言語の音として聞こえるのは、その土台にもっと高い周波数帯の音が同時に重なって聞こえるからです。

400ヘルツ以下の音しか伝わらないとすれば、それはもう言語の音として聞き分けることはできません。声の上がり下がりやリズムなどはわかるけれど、何を言っているかはよくわからない、という音です。胎児が聞いている話しことばとは、そのような音なのです。

さらに、母親の身体のなかでは血流音や心音、内臓が活動する音などの低い音も響いています。低い音は外界から伝わりやすいと言っても、それはそれで、母親の身体のなかの音にかなりかき消されてしまうのです。

以上を考え合わせると、胎児が聞いている言語とは、分厚い壁の向こうから聞こえてくる何を言っているかはよくわからない話し声、あるいは、走行音がうるさい電車のなかでのよく聞き取れない会話、といったところでしょう。

実際、うるさい電車のなかにいて、何を言っているかははっきり聞こえないのに、その話し方のリズムを聞いて、「ああ、これは日本語じゃないな」などと思ったことはないでしょうか。生まれたばかりの赤ちゃんが聞き分けているのも、そのような言語のリズムだと考えられるのです。
◆リズムと言語

おなかの赤ちゃんに話しかけるということも珍しくない今日、胎内の赤ちゃんに伝わっているのは、言語というよりそのリズムだけ、という事実に、がっかりされた方もいらっしゃるかもしれません。

しかし私たちは、そのリズムを手がかりにして言語を聞き取っていると言っても過言ではないのです。

たとえば日本語と英語では、リズムがだいぶ違います。

英語の発話では、拍子をとるように、強い音が定期的に出てきます。たとえば、“Have a good time.” であれば、「ハー」ヴァ 「グー」ッド 「ター」イム(「」のところは強く、伸ばして言います)のようになります。

他方、日本語では、かな文字一文字分が一拍というリズム進行です。それで “Have a good time.” を日本語のリズムで言うと、「ハブアグッドタイム」と、なんだか平板な言い方になります。このような言い方では、なかなか英語母語話者に理解してもらえません。

あるいは、「観光ですか?」という日本語の質問文も、上がり調子のイントネーションにはなるとは言え、一文字一拍のリズムで淡々と「カンコウデスカ」と言うのが日本語です。しかし、英語母語話者がこれを言おうとすると、英語のリズムが入りこんで、「カーンコ デース カア」となったりします。

なおこれは以前アメリカに行ったとき、人の良さそうな入国審査官が、私が日本人であることに気づいて言ったことばです。私としては、状況が状況なだけに、相手は当然英語を話すだろうと構えていました。そこに、英語的なリズムの日本語です。

何を言われたのかよくわからずぽかんとする私に向かって、その親切な入国審査官は、私がわかるまで三度にわたって、そのことばを繰り返してくれたのでした。

赤ちゃんは言語のリズムに敏感な状態で生まれたのち、本格的に言語の学習にとりかかる(写真提供:PhotoAC)

◆赤ちゃんは言語のリズムに敏感な状態で生まれてくる

実際のコミュニケーションにおいて、言語のリズムは単語や文を正しく聞き取るための重要な手がかりになっていて、生まれたばかりの赤ちゃんは、このリズムに敏感です。自分が胎内で聞いたのではない外国語でさえ、リズムの違いで聞き分けられることが、馴化-脱馴化法を使って確かめられています*3。

その研究では、フランスで生まれた赤ちゃんに、まず日本語の音声を聞かせました。最初のうちは興味をもって聞いてくれ、同時におしゃぶりをくわえさせると、勢いよく吸ってくれます。

しかし、繰り返し聞かされる日本語の音声に飽きてくると、おしゃぶりの吸い方はゆっくりになります。そのタイミングで、聞かせる音声を英語に変えると、赤ちゃんは変化に気づいて注意を回復し、ふたたび勢いよくおしゃぶりを吸うようになったのです。

このように赤ちゃんは、胎内でなじんだ言語に限らず、言語のリズムに敏感な状態で生まれてきます。そして、いよいよ本格的に言語の学習にとりかかるのです。

*1 Birnholz, J. C., & Benacerraf, B. R. 1983 The development of human fetal hearing. Science,222(4623), 516-518.

*2 Gerhardt, K. J., & Abrams, R. M. 1996 Fetal hearing: Characterization of the stimulus and response. Seminars in Perinatology, 20(1), 11-20.

*3 Nazzi,T., Bertoncini, J., & Mehler, J. 1998 Language discrimination by newborns: Toward an understanding of the role of rhythm. Journal of Experimental Psychology: Human Perception and Performance, 24(3), 756-766.

※本稿は、『赤ちゃんはことばをどう学ぶのか』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

引用元:
生まれる前の赤ちゃんにことばがどう届いているかというと…赤ちゃんは胎内でしっかりと「重要な手がかり」を掴んでいた!(Yahoo!ニュース)