34歳の時、体外受精によって「子宮内外同時妊娠」をし、流産手術とともに片方の卵管を失ったYさん(49)は、その後も不妊治療を続けました。10年間、治療を続けた経験から、同じ立場の仲間同士が支え合う「ピアサポート」の重要性を強く感じています。

採卵13回、流産3回 10年間続けた不妊治療の最後で訪れた奇跡…感じたピアサポートの重要性
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毎回「これで最後にしよう」と考えた
 Yさんは、不妊治療の採卵時に、麻酔をかけて意識がなくなることに抵抗があり、子宮内外同時妊娠をした後から、麻酔をせずに採卵するクリニックに転院しました。「自分に合っているかなと思ったのですが、今度は痛くて痛くて採卵の後、泣きながら震えが止まりませんでした」

 毎回、これで最後にしようと思いながら、このクリニックでも3回採卵をしました。しかし、妊娠はしません。この時、36歳。「子どもがいない人生についても考えなければ」と思い始めました。もう心も体もボロボロで、1年間治療を休むことにしました。

1年間、治療を休み考えたこと
 治療を休んでいる間、夫婦でいろいろな趣味を楽しんだり、神社でお 祓はら いをしてきたり……。気持ちが落ち着いてくると、「やっぱり私はどうしても子どもが欲しい」と考え、最初に通っていた病院に戻り、治療を続けることにしました。

 治療を再開してから1年後、Yさんは再び妊娠しました。しかし、またしても流産してしまいます。これが3回目の流産だったため、「不育症かもしれない」と考え、大学病院でいろいろ検査をしてもらいましたが、これといった原因は見つかりませんでした。

採卵時に過呼吸
 治療をめぐり、夫とはよくケンカをしました。夫は、精子を容器に入れて病院に差し出すことに抵抗があったのでしょう。不機嫌になることもありました。それを感じ取ったYさんは、「じゃあ、私の痛みや苦しみはどうなるの! 私に比べたらどうってことないでしょ!」とどなることもあったといいます。

 しかし、病院に付き添ってもらったり、2人で何度も話し合いを重ねたりするうちに、ケンカは、少しずつ減ってきました。「夫も苦しんでいることが分かったからかもしれません」

 日本産科婦人科学会によると、体外受精による妊娠率は35歳ごろから徐々に下がっていきます。その事実は、38歳になっていたYさんにとって、とても重いものでした。

 体外受精がダメだった時、日記にこんなことを書いていたそうです。

 「ずっと、ずっと子どもにとらわれてきた。でもしょうがない。涙の分だけ精一杯やってきた。悔いはない。私は私」

 この次の治療に向けて採卵をしていた際、興奮して過呼吸になってしまい、これまでのつらかった治療のことがよみがえり、涙が止まらなくなったといいます。

 そして麻酔から覚めた時、こう思ったそうです。「こんなにも私は治療をやめたかったんだ。もう十分だ」

 そう考えたものの、「あと1回だけ」と臨んだ体外受精で、双子を妊娠。無事に出産することができました。

 あまりの想定外の出来事に、最初はとても信じられず、この奇跡をどう受け止めていいかわからなかったそうです。
つらい日々の連続
いつか赤ちゃんに会いたいあなたへ

 約10年に及ぶ不妊治療で採卵は13回、子宮内外同時妊娠の手術と3回の流産手術。自分の努力ではどうしようもできないもどかしさや怒り、子どもができないというだけで、自分のことを情けなくて空っぽだと感じてしまったこと――。今振り返っても本当につらい日々だったと言います。

 Yさんは、同じ苦しみを感じている人に、「一人じゃないよ」と手を差し伸べたいと考え、不妊ピア・カウンセラーになるために、2019年からNPO法人Fineの養成講座を受けました。

 不妊の心理を詳しく学んだYさんは、「不妊とは耐えがたく、人の心を傷つけるものなんだと知りました。苦しんでいる人には『あなたの気持ち、わかるよ』と寄り添ってあげたい」と話しています。

ピアサポートで生きやすい社会に
 「ピア(同じ立場の仲間)」がサポートをするということは、社会の様々なシーンで広がりを見せています。同じ体験をしただけでは当事者の心理的サポートを行うのは難しいこともあります。体験に加えて心理を基礎から学び、カウンセラーとしてのスキルも習得することが大切です。Fineでは約20年前からこの養成に取り組み、ようやく自治体から依頼を受けるなど、必要とされる存在の一つになってきました。もっと多くの業界でもこうした取り組みが広がると、当事者が生きやすい社会になっていくと思います。(松本亜樹子 NPO法人Fine=ファイン=ファウンダー・理事)

引用元:
採卵13回、流産3回 10年間続けた不妊治療の最後で訪れた奇跡…感じたピアサポートの重要性(読売新聞オンライン)