女性は世界人口の半分を占めているにもかかわらず、女性たちの健康をむしばむ重い病気に関する研究は、男性のそれに比べて大きく遅れている。こうした状況の改善を目指して、人工知能(AI)と計算科学を医療に活用しようと取り組んでいる科学者たちもいる。このアプローチは現在、妊娠合併症、子宮内膜症、妊産婦死亡、乳がん、子宮頸がんをはじめとする女性の健康問題に新たな知見をもたらしており、今後の医療ケアの改善につながることが期待されている。
計算科学は、主にふたつの面で女性の健康に関する研究に役立てられていると、米テキサス大学オースティン校オデン研究所計算腫瘍学センターのトーマス・ヤンキーロフ所長は言う。ひとつは、AIの機械学習を使って膨大なデータを分析し、大まかな結論を導き出すこと。もうひとつは、個々の患者から情報を引き出し、その患者に特化(個別化)した評価や予測を行うことだ。
こうした進歩が可能になった理由のひとつは、高速のコンピューターを非常に安い費用で動かせるようになったおかげで、科学者たちが、自身が所属する研究機関で大規模なデータを分析できるようになったことだ。
たとえば、200カ国における女性の出産関連死亡をテーマとした研究では、出産時に女性の健康に影響を及ぼす可能性のある何十万個もの健康パラメータをシミュレートする必要があったと、米ハーバード・T・H・チャン公衆衛生大学院でこのプロジェクトを手がけたザカリー・ウォード氏は言う。ほんの10年前には、こうした作業は不可能だっただろうと氏は述べている。
また、この分野に興味を持つ若い女性エンジニアが増えていることも重要な要因だと語るのは、米セントルイス・ワシントン大学女性健康工学センターのミシェル・オイエン所長だ。同センターには、工学部と医学部の両方から学生が集まってくる。
氏が研究室で実践している、妊娠に関連する問題の研究にコンピューターシミュレーションを利用するというアイデアが「若い学生たちの興味を引くようです」と氏は言う。「多くの学生が、自分の母親にはこういう症状があった、友人はこういう病気だったという話をしてくれます。この分野を志す人たちには、そういった個人的な背景があるのです」
数学を乳がん治療に生かす
ヤンキーロフ氏は、局所進行乳がん(LABC、進行しているが転移は近くのリンパ節に限られる段階の乳がん)をより効果的に治療するために、個人に合わせたアプローチを採用している。データは一人ひとりから収集したものを使うのがベストだと氏は言う。なぜなら、乳がんには多くのサブタイプ(亜型)があり、経過や生存の見込みは人それぞれだからだ。
これまでの医学の進歩では、主に臨床試験という形で試行錯誤を繰り返す方法が採用されてきた。ある治療法が成功とみなされるのは、それが一個人ではなく、平均的な人々に有効であることが示されたときだ。これは、ほかの分野の科学が発展するやり方とは対照的だ。「人工衛星を軌道に送り込みたいなら、衛星を100基打ち上げて、どれかひとつでも正しい軌道に入りますようにと祈るようなやり方はしません」と氏は言う。物理学者やエンジニアが考案した数式を解き、衛星をひとつだけ、特定の位置に送り込むはずだ。
ヤンキーロフ氏のチームは、個別のLABC患者に適用できる方程式の開発に取り組んだ。そして、それぞれの腫瘍がどのように成長し、治療にどのように反応するかを計算する4つの複雑な方程式を導き出した。そこからは高速のコンピューターを使った。乳房の磁気共鳴画像(MRI)からデータを抽出し、それを用いて、個別の患者ごとに方程式を解いた。
現在の治療法では、標準的な化学療法を行った後で腫瘍を外科的に切除するのが一般的だ。しかし、3分の2近くの症例では、腫瘍細胞は取り切れずに残され、それが再発の可能性を高めている。現在は実験段階にあるヤンキーロフ氏の方程式は今後、LABC治療の個別化に役立つことが証明されるかもしれない。
「トリプルネガティブ乳がん」と呼ばれる治療が難しいタイプのLABCをもつ女性56人を対象としたヤンキーロフ氏の研究では、方程式を解くことで、標準治療が成功するかどうかを89%の精度で判断できることがわかった。次のステップでは、標準治療が失敗する確率の高い人に追加療法を受ける選択肢を与えるなど、コンピューター予測を用いた治療の個別化を行う臨床試験が予定されている。
妊娠と出産で起きていることを把握する
個別化されたアプローチはまた、分娩中の子宮の研究にも活用されている。現在の医療現場では、トコダイナモメーターと呼ばれる感圧機器を使って子宮の収縮をモニタリングしている。子宮収縮の長さ、頻度、強さを測定できる装置だ。
しかし、早産になった場合、あるいは陣痛が止まってしまった場合などに、子宮内で何が起こっているのかを理解するためには、より詳しい情報が必要だと、セントルイス・ワシントン大学の工学部・医学部の准教授であるヨン・ワン氏は言う。
ワン氏らは、「電子子宮筋画像化システム」という独自の検出装置を開発した。腹部の上に置いて使用するこの装置は、250個の電極を備え、 毎秒50万ビットのデータを記録することができる。子宮が収縮するたび、コンピューターがこのデータを、子宮のリアルタイムかつダイナミックな画像に変換する。
「これによって、初めて人間の子宮の機能を3次元(3D)空間で経時的かつ体への負担がなく評価できるようになります」とワン氏は言う。
この装置を用いて分娩中の女性55人の子宮収縮を測定したところ、子宮の中で何が起こっているかが詳しい3D画像で記録され、たとえば収縮が進むにつれて子宮の特定の部位がどのように活性化するのかも、はっきりと見て取ることができた。ワン氏らの研究は2023年3月14日付けで学術誌「Nature Communications」に発表されている。
ワン氏の希望は、いずれはすべての人の分娩がこうした形でモニタリングされ、リアルタイムで生成された画像を医療従事者が見ることができるようになることだ。この装置はまた、受胎能力、月経痛、子宮内膜症など、妊娠中以外の子宮の状態の研究にも活用されている。
オイエン氏は妊娠中、特に胎児に栄養と酸素を供給する胎盤に焦点をあてた研究に取り組んでいる。人間の生存にとって不可欠なものでありながら、胎盤については驚くほどわからないことが多いと氏は言う。そのせいで、胎盤に問題が生じた際に産科医が取れる手段は、たとえば安静にさせる、帝王切開を行うなど、ごくわずかしか存在しない。
オイエン氏は、機械学習を利用して胎盤の動的計算モデルを作成している。「形状と組織の特性をコンピューターに入力し、シミュレーションを何百回も繰り返しながら、組織の特性を変化させた場合に何が起こるかを探るのです」と氏は言う。当然ながら、この研究は倫理的な理由から生身の人間で行うことはできず、また動物を利用することもできない。なぜなら、動物の胎盤は人間とは大きく異なるからだ。
こうしたモデリング研究は、たとえば胎児の成長速度が異常に遅くなった場合や、妊娠高血圧腎症などの妊娠合併症が発生した場合の胎盤の役割を理解するうえで役立つことが期待されている。
オイエン氏はまた、胎児を包んでいる、液体で満たされた袋である羊膜嚢(のう)の研究にもデジタル技術を活用している。全妊娠例の約3%で、陣痛が始まる前に、この袋をつくるコラーゲンの膜に破裂が起こる(前期破水と呼ばれる)。まだ胎児が生き延びられない妊娠早期に起こることも少なくない。
仮想空間上で個々の繊維に圧力を加え、裂け目を作ることで、そうした破裂を引き起こす一連の現象が明らかになる。いずれは、小さな問題が破滅的な事態へ発展する前に、子宮内で修復する治療が可能になるかもしれない。
ビッグデータの活用
世界中の女性の健康を改善することを目指すウォード氏の取り組みを支える柱は、大規模シミュレーションだ。氏のチームは、世界的に入手可能なデータに基づき、妊産婦死亡率を左右する可能性がある要因(たとえば、各国の妊婦が受けている出産前ケアの量、高血圧の割合、医療分娩施設へのアクセスなど)を、40万を超える医学的、社会的、経済的なパラメータを用いて計算している。
ウォード氏らの推定では、全世界の年間での妊産婦死亡数は過去30年で40%以上低下したとはいえ、今も高い水準にある。氏のチームは、発展途上地域で行いうる介入策をシミュレートすることにより、それぞれの対策がもつ効果を評価し、2023年4月20日付けで医学誌「Nature Medicine」に論文を発表した。
こうしたコンピューターを大々的に活用した研究によって明らかになったのは、1種類の介入策だけでは不十分だということだ。
「一度にひとつの対策だけを行うことには、あまり意味がないことがわかってきました。それぞれの国に特化した、包括的かつ統合された戦略が必要です」と氏は言う。
たとえば、出産施設の質を向上させ、より多くの女性がそこを利用できるようにすれば、世界中の多くの国で妊婦の生存率は上がるだろう。しかし同時に、そうした施設に十分な訓練を受けた医療従事者を配置したり、女性が避妊手段にアクセスできるようにしたりしなければ、十分な対策にはならない。
子宮頸がんによる世界的な死者数を減らすためのシミュレーションを用いた研究でも、同様の結論が導かれている。たとえば画像診断技術の導入は、同時に化学療法に用いる薬剤や、訓練を受けた専門医、放射線治療の利用可能性を高めなければ、より良い結果には結びつかない。
コンピューターによる計算では万能の介入策は見つからなかったものの、ウォード氏は、そうした情報を集めることが非常に重要だと述べている。「政策立案者がデータに基づいた決定を下すことを望みます」と氏は言う。氏をはじめとする科学者たちが、今後も計算科学を女性の健康のために活用し続けることにより、その実現はより確かなものとなるだろう。
引用元:
女性の健康問題をAIで解決へ、乳がんや妊娠合併症などで活用進む(ナショナル ジオグラフィック)