<急速な少子化に焦った政府はさまざまな対策を打ち出そうとしている。しかし、むしろ不安なことは、子どもを持ちたいという女性が「透明」になっている社会...>
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少子化対策が叫ばれてはいるが、国が提示する政策や社会の未来に現実的な希望を持ちづらい。それでも子を持ちたいと願う者たちに優しい未来はあるのか...。
【画像】小野美由紀さんの「マタニティマーク」に関するツイート
35歳、都会に生まれ育ち、仕事も軌道に乗っていた作家の小野美由紀さんは、妊娠出産を通じて、今までの自分には見えていなかった問題に気づきはじめる。新刊『わっしょい!妊婦』(CCCメディアハウス)より一部抜粋。
■総スルーされるマタニティマーク
たまげたことに、マタニティマークを付けて満員電車に乗っても、これが、まじでまったく総スルーなのである。
これまで電車の中やバスの中でマタニティマークを付けた人を見るたびに、私はせっせと席を譲ってきたのだが、いざ自分が付ける側になってみると、まるで私もマタニティマークも透明になってしまったように、誰にも席を譲られない。
妊婦は激怒した。
いや、確かに、妊娠初期はまだ腹も出ておらず見た目では分からないので仕方がなくもあるのだが、マークをつけて優先席の前に立っても誰にも譲られないなんて、さすがに社会、冷たくないか。
そう、ぷりぷりしながら夫に話すと、彼は大真面目な顔で「マタニティマークって何?」と言い出したので私はもんどり打った。
「妊婦さんが付けてるの、見たことない?」
「そんなの小さすぎて、目に付かないし、そもそも電車の中で人のことなんてジロジロ見ないもん」
■マタニティマークは認知されているのか問題
確かにこのマタニティマーク、同じ妊娠している女性じゃなきゃ気づかないくらいの慎ましさというか、マークの意味ないやろ! と叫びたくなる絵柄なのである。
つわりのしんどさと社会的自我が、24時間刺すか刺されるかのデスマッチを繰り広げている初期妊婦の実情が、いっさい反映されていない。紅白の小林幸子の衣装くらいの派手さでいくか、せめてお好み焼きくらいのサイズにした方がいいのではないか。
「優先席に、このマークの人には席を譲りましょうって書いてあるよ」
「そもそも俺、座席に座らないし」
たまげた。夫は街で困っている人を見かけたらすぐに助けるような優しい人間なのだが、それでもこのマークが目に入らないと言うのだ。
「だって俺、学校の授業でも『これがマタニティマークです』なんて習わなかったよ。たぶん、子どもを持つことにならなければ一生知らなかったんじゃないかな」
もしかして、電車で妊婦に席を譲らない人の中にはマタニティマークの存在を知らない男性も多くいるのではないだろうか。
■社会から切り離されている妊婦という存在
「じゃあ、どうしたらいいの? まじでゲロ吐く五秒前だから、浴びたくなかったら譲ってくれって書いたフリップボードでも持ち運んだらいい?」
「いや、ヘルプマークでいいんじゃないの? どっちにしろ助けが必要な人、という意味では変わらないし、席を譲って欲しい理由をいちいち人に伝える必要なんてないしね」
いや、しかし。そもそも、こんな話をわざわざしなくてはならないほど、妊娠と社会が切り離されていること自体が、とてもいびつではないだろうか。
私はまるで自分の体が限りなく透明になった気がした。この社会の中での初期妊婦の居づらさはいったい何だろうか。
流産のしやすさから周囲に公表もできず、体調は最悪なのに仕事はフルスロットルで回り続けているので休むわけにもいかない。
しかし、そのことにいきりたったり、疑問を呈したりする余裕もなく、初期の数週間はとにかくこの具合の悪さをどうにかせねば、生きてゆくことすらままならない。
自宅で仕事をしている私なんかはまだ良いほうで、このいちばん孤独でいちばんつらい時期にまるで「妊娠していません」といった顔で出勤し、今まで通りの生活を営まなければいけない外で働く女たちはもっと大変ではないか。
妊婦の妊婦性を限りなく抹消しないと仕事を続けられないような、この現代社会の労働のシステムは、果たして健全なのだろうか?
■妊婦を透明にしてきた私を反省
そうモヤモヤしながら、ある日私は近所の産院に分娩予約をしに出かけた。ドアを開けた途端、ずらりと並んだ女たちが一斉にこちらに視線を向け、私はたじろいた。
妊婦、妊婦、妊婦。ここにいるのは全員、妊娠した女たちだった。少子化とはいったい何のことかと思うほど満杯の妊婦で、待合室ははち切れそうだった。
私よりずっと年上に見える女性も、き、君こそがむしろ子どもではと言いたくなるような、若い体つきの女も、それぞれがそれぞれでベストだと思う衣装に身を包み(ザ・妊婦という感じのマタニティドレスに身を包んでいる人もいれば、ぴちぴちのスキニージーンズを穿いた素足の妊婦もいた)、ひな壇の芸人のように色とりどりで、足を組んだり、あぐらをかいたり、めいめいの姿勢をとりながら、診察室のドアが開くのを今か今かと待っていた。
静かなのに、なぜかぎらぎらとした高揚があった。各々が放出する熱気が全員をバターのように溶かし、分離しながらも一体化させていた。「産む女」はここにいた。
もちろん、これまで私が見てきた景色の中、街にも仕事先にも友達の中にもいた、はずだ。けど、なぜだか私の視線は彼女たちを通過していた。私もこれまで、彼女たちを透明にさせていた人間のうちの一人だった。
待合の椅子に座ると、私もその一員になった。途端に世界の全部がふかふかになり、端からくるんと丸くなるような、同時に私のお腹の中に世界全部が包み込まれてゆくような、どちらの感覚もが襲ってきた。
それぞれの事情を下敷きにしながらも、ここにいる女全員がお腹の新しい命に会う〞という同じ光源を目指し、日々の暗中模索を生きている。
そう思うだけで、なんだかポカポカとした力強いものが微かに腹の奥から湧いてきて、この妊娠初期のしんどい日々を、なんとか乗り越えてゆけそうな、そんな気がしてくるのだった。
君も妊婦私も妊婦。がんばれ、生きろ。私たちは透明ではない。
引用元:
妊娠して気づいたのは、「マタニティマーク」が全員に無視されることだった...(YAHOO!JAPANニュース)