精子が卵子にたどり着くまでの距離は、精子の体長のおよそ3万倍と言われています。

人間の身長に換算すると5000km弱、日本からシンガポールくらいの距離です。

それだけの距離に加え、女性器内の粘液の流れ、卵子がある卵管の選択、卵子を取り囲む卵膜など様々な障害を乗り越えて、受精する精子はわずか1億分の1。

しかし、そんな受精に至る精子は他の精子たちと「争う中で勝ち残った」わけではなく、他の精子たちの「協力を得て生き残った」精子なのだということが明らかとなりました。

この記事では精子の協力行動についてそのメリットと様々な生き物における実例をご紹介します。


目次

精子は協力した方が速く泳げる
女性器内におけるウシの精子の「群れ」を観察
精子の観察は新たな不妊治療のアプローチにつながる
精子は協力した方が速く泳げる
協力しながら進む精子(イメージ)
協力しながら進む精子(イメージ) / credit:Pixabay
東北大学の竹歳氏らは精子間の流体相互作用に関する運動モデルを作成し、精子が集団化することで遊泳速度および効率が高まることを明らかにしました。

精子が泳ぐことによって作られる液体の流れが、他の精子の運動を後押ししてくれることで、精子たちはより速く効率的に卵子のもとに向かうことができるのです。

しかしこれはあくまで流体力学的に考えられた予測モデルに過ぎません。

実際に精子が互いに協力しあうことはあるのでしょうか?

精子がペアになって泳ぐオポッサム
オポッサム
オポッサム / credit:Pixabay
シェフィールド大学のムーア氏らはオポッサムの精子が2体でペアになって泳いでいく様子を観察しています。

頭をくっつけた2体の精子たちはそれぞれの尾を2本の足のようにして泳ぐことで、1体で泳ぐより速く泳げるそうです。

また、2体ペアで動く精子たちの頭の動きは1体で動く精子よりも変位幅が小さく、少ない動きで効率的に泳ぎ進むことができることがわかっています。

マウスの精子では協力だけでなく競争も
アカネズミ
アカネズミ / credit:Pixabay
ハーバード大学の進化遺伝学者ハイディ・フィッシャー氏はマウスの精子を観察し、精子同士が協力する様子を詳細に報告しています。

マウスの精子は頭の部分がフックのような形状になっており、それによって精子が一列に繋がって速く泳ぐことができるのだそうです。

また、複数のオスと交尾する乱交型マウスの精子を観察したところ、同じオスの精子同士が協力し、別のオスの精子のチームとは協力せずに進むことが明らかになりました。

これはオス同士の近親で遺伝子情報が近い場合でも見られる行動で、精子が綿密に自分以外の遺伝子情報を区別できることを示しています。

このように複数の生き物の精子の観察において精子の「協力」を見ることができ、精子が単なる細胞ではなく、組織的に協力し、競争することが報告されています。

しかし、これらの精子の観察はあくまで実験用の水溶液の中で行われたもので実際の女性器内とは条件が異なります。

そこで、女性器内の流れや粘性を模倣した場所での観察が行われました。

ノースカロライナ州農業技術州立大学のトゥン氏は、精子の動きを正確に把握するためにマイクロ流体機械を用いました。

マイクロ流体機械は微小な空間に流れを作ることで慣性の影響を受けにくくし、より細かい流れを再現できるものです。

近年は様々な分野で応用され、生物学の分野では体の中でどのようなことが起こっているのか実際の体内の特定部位の状態に近づけた観察が多数行われています。

トゥン氏らが行った実験では、ウシの子宮頸部、子宮、卵管を模したマイクロ流体機械を用いて精子の観察が行われました。

それらのマイクロ流体機械においては各所の液体の粘性が考慮され、流れの強さも電流によって細かく制御することができます。 

群れになることで「流れ」に逆らう精子 
群れは流れに逆らって泳ぐ(イメージ)
群れは流れに逆らって泳ぐ(イメージ) / credit:Pixabay
これまでマイクロ流体機械を用いないウシの精子の観察において精子が群れで泳ぐ様子は観察されていましたが、その場合は群れている方が個体で動く場合よりも動きが鈍くなっていて、群れることの利点を見つけることができませんでした。

しかし今回のマイクロ流体機械を用いた観察では、精子が群れになることによる様々な利点が明らかになりました。

まず、流れのない粘液を進む場合、個々の精子はばらばらな方向に進むのに対し、群れの精子はまっすぐターゲットに向かって進んでいきます。

次に、中程度の流れを発生させると群れの精子は流れに逆らって泳ぐことができました。

最後に、女性器内で見られる最高レベルまで流れの強さを引き上げると、精子の群れはぎゅっとかたまり、流されずに留まることができたのです。

例えば自転車競技でチームが一列に並んで風の抵抗を避けることがありますが、今回観察された精子の動きもそれによく似ています。

精子はチームで協力し、互いの負担を軽くしながら、卵子というゴールに向かって進んでいくのです。

精子は「社会的に」協力している
協力
協力 / credit:Pixabay
前述したアカネズミやオポッサムはそもそも精子が複数で動くことを前提とした構造になっています。

しかし、今回観察されたウシの精子は人間の精子と形がよく似ており、本来1個体で泳いでいける構造です。

それにも関わらず群れで泳ぐ様子が観察でき、群れることによって女性器内を移動しやすくなっているという事実は、精子が過酷な女性器内を進むために「あえて」群れを作っていることを示しています。

精子は「自分の遺伝子を残す」という目的に向かって、精子同士の社会を形成し、その中で協力することを惜しまないのです。

これまで単なる細胞と捉えられていた精子の挙動には様々な意味があり、まだ解明されていないことも多くあることが予想されます。

実際の女性器内に近い状態での観察は、性科学の分野にどのような発展をもたらすのでしょうか。

不妊治療において、精子の運動に関する観察は欠かせないものですが、それらはすべて実験用の水溶液の中で行われ、実際に精子が直面する粘性や流れを考慮されずに行われてきました。

しかし、今後実際の女性器内に近い精子の観察が可能になれば不妊につながる原因となる動きなども明らかになる可能性があります。

また、精子が少なくても密度を上げて群れを作ることできれば、精子の運動効率が上昇させることができると考えられるため、乏精子症患者の新たな不妊治療法開発につながるかもしれません。

卵子をゴールとした精子たちの過酷な旅路の中にどのような「社会的行動」が潜んでいるのか、そしてそれがどのように生殖に関わっているのか、女性器内における精子の実際の動きを知ることでまだまだわかることがありそうです。

引用元:
女性器内での精子の動きとは?互いに協力して進みやすくしていることが明らかに(ナゾロジー)