医療の進歩によって「不治の病」ではなくなったものの、がんが長いこと日本人の死因第1位の座を守り続ける「最も怖い病気」の1つであることに変わりはない。年間で約100万人もの人ががんと診断され、日本人の2人に1人はがんに罹患する。

 がんは遺伝子の変異によって起こり、これには後天的な体細胞変異と先天的な生殖細胞系列変異がある。加齢・喫煙・飲酒・紫外線などの環境要因に加え、親から受け継いだ遺伝要因も影響する。

 「『うちはがん家系では…』『私はがん体質かも』と心配されている方もいらっしゃると思います。しかし、がん家系とは何でしょうか? 昔は分からないことが多くありましたが、今は医療が進み、遺伝的体質、つまり親から引き継ぎやすい体質を持っている方の中にもいろいろなタイプがあることが分かってきました」と聖路加国際病院副院長・ブレストセンター長・乳腺外科部長の山内英子氏は話す。

 「私は主に乳がんの患者さんを診ていますが、乳がんは昔から、家族の中で乳がんの方がいるとほかの人も乳がんになりやすいことが知られていました。実際、がん患者さんの中には、家系の中に乳がんや卵巣がんを発症された方が複数いることがあります。このことを乳がん・卵巣がんの家族歴、家族集積性が見られるといいます。こういった家族歴の見られる乳がん患者の中には、発症に遺伝要因が関与していることがあります」(山内氏)

BRCA遺伝子に変異がある人は、乳がんリスクが極めて高い

 「遺伝性の乳がんに関係する遺伝子はまだ分かっていないものもありますが、現在確認されているのがBRCA1とBRCA2という遺伝子です。この遺伝子は誰もが持っている遺伝子ですが、これらに生まれつき変異(塩基の並び変化)があり、本来の機能が失われると、明らかに乳がんや卵巣がんになりやすいことが分かっています」と山内氏は説明する。

 これらの遺伝子のどちらかに病的変異がある場合に「遺伝性乳がん・卵巣がん症候群」(Hereditary Breast and Ovarian Cancer=HBOC)と呼ぶ。

 がんの中でも女性で最も患者数が多いのが乳がんだ。国立がん研究センターによると、2018年に乳がんと診断されたのは女性9万3858人、男性661人となっている。そのうち、3〜5%が遺伝性乳がん・卵巣がん症候群とされる。
50歳までに乳がんに罹患する確率は一般の人が2%程度であるのに対し、遺伝性乳がん・卵巣がん症候群の人は33〜50%。70歳までに罹患する確率は、一般の人が約7%であるのに対し、遺伝性乳がん・卵巣がん症候群の人は56〜87%と極めて高い。卵巣がんも70歳までに罹患する確率は一般の人の2%未満に対し、27〜44%となっている

米国の女優アンジェリーナ・ジョリーさんは遺伝子検査によってBRCA1に変異があることが分かり、乳がん・卵巣がんの予防のため、30代で乳房と卵巣・卵管を切除した。米国では遺伝性乳がん・卵巣がん症候群と診断された人のうち、半数は彼女と同じく予防的切除を選択するという。

 遺伝性乳がん・卵巣がん症候群は200〜500人に1人の割合で該当すると言われている。両親のどちらかが遺伝性乳がん・卵巣がん症候群だった場合、子どもに変異した遺伝子が受け継がれる確率は2分の1、つまり50%であり、この確率は男性でも変わらない。

 山内氏は、遺伝性乳がん・卵巣がん症候群の人には以下のような特徴があると説明する。
•40歳未満で乳がんを発症する
•両方の乳房にがんを発症する
•何回も乳がんを発症する
•乳がんと卵巣がんの両方を発症する
•男性で乳がんを発症する
•乳がん、卵巣がん、すい臓がんになった血縁者がいる

 「BRCAに変異があると、男性でも乳がんを起こすことがあります。さらに、すい臓がん、前立腺がんのリスクが高くなることが知られていましたが、10万人以上を対象にした理化学研究所の研究から、胃がん、食道がん、胆道がんのリスクも高まることが最近になって分かりました」(山内氏)

 遺伝性乳がん・卵巣がん症候群という名称から、男性には無縁な問題だと思われがちだが、実はそうではない。乳がんや卵巣がんの多い家系であれば、男性も注意が必要なのだ。

変異がある女性は25歳から乳がん検診を

 こうした遺伝性乳がん・卵巣がん症候群によるリスクを知ると、不安に感じる人も少なくないだろう。山内氏はそんな人に対して、「BRCAに変異を持って生まれた方にもできることがあります。一緒にそれらの対策を行っていきましょうと患者さんにお話ししています」と言う。

 具体的な対策としては検診、薬物療法、手術という3つの方法があるという。

 まずは若いうちから積極的に検診を受けて、少しでも早い段階でがんを発見することだ。「一般に乳がん検診は40歳からと言われていますが、変異がある女性は若いうちから注意深く診ていく必要があります。25歳から毎年検診を受けた方がいいでしょう。30〜75歳まではMRI検査とマンモグラフィの両方を毎年受けるようにしてください」と山内氏はアドバイスする。

変異があった男性も、35歳以降は年に1回、医療機関で乳がん検診を受けるべきという。前立腺がんのリスクも高くなるため、40代になったら前立腺がんのスクリーニングを受けることも推奨されている。ちなみに、男性のがんで最も患者数が多いのは前立腺がん。2018年には9万2021人が罹患している。

乳がん、卵巣がんのリスクを確実に下げるには?

 検診以外に女性ホルモンを抑える薬や経口避妊薬を使った薬物療法にもいくらか予防効果はあるが、「最も効果が高いのは予防的切除、つまりがんになる前の臓器をとってしまうことです」と山内氏。

 「乳房を切除することで乳がんのリスクは90%、卵巣・卵管を切除すると卵巣がんのリスクは68%下がります。予防的にとることにより、患者さんの生命を守ることができ、将来がんを発症したときよりも全体的にかかる医療費が安くすむことも分かってきました」(山内氏)

 遺伝性乳がん・卵巣がん症候群で、乳がんや卵巣がんだと診断された場合、予防的な手術は自費が原則だが、今では乳がんや卵巣がんと診断されている場合、リスク低減手術(リスク低減乳房切除術、リスク低減卵管卵巣摘出術)、およびBRCAの遺伝子検査に保険が適用されるようになっている。

 ここまでの話を聞いて、「急いで遺伝子検査をしなければ…」と思った人も少なくないだろう。ここで山内氏は「インターネット上には様々な情報が掲載されていますが、検査と一口に言っても玉石混交で、精度が確立されていない検査も存在します。医療機関での検査は高い精度が求められますので、できれば医療機関に相談してください。例えば、全国の『がん診療連携拠点病院』などに設置されている『がん相談支援センター』などにご相談いただき、『遺伝カウンセリング』を受けて相談していただくのがいいでしょう」と話す。

 「最近は、たくさんのデータを収集して、ひとりひとりに最も効果的な医療を提供できる時代になってきました。がんを発症する前にリスクを評価し、それに基づく予防が行えるようになりつつあります。正しい知識を蓄えていただき、知識を力に前に進んでいただきたいと思います」(山内氏)

 なお、遺伝性乳がん・卵巣がん症候群についての情報は、山内氏も理事を務めるJOHBOC(日本遺伝性乳癌卵巣癌総合診療制度機構)のサイトにまとまっているので、参照していただきたい。


引用元:
遺伝性の「乳がん」「卵巣がん」、リスクを正しく認識 男性も無縁ではない(日経Gooday)