胎児の心臓の大動脈弁でカテーテルについたバルーンを膨らませている瞬間

今年7月、国立成育医療研究センター(東京・世田谷区)でチーム医療による国内初の手術が行われた。病名は「重症大動脈弁狭窄症」。患者は妊娠25週の胎児、すなわち、まだ母親のお腹にいる赤ちゃんだ。体長は約20〜25センチ、体重は約4〜500グラム。治療対象である心臓は、大人の親指の先端くらいの大きさだ。
国立成育医療研究センターでは、左合治彦副院長を筆頭に2002年から「胎児治療」に取り組んでいる。胎児への心臓手術は2013年から研究準備に取り掛かり、幾度ものシミュレーションを行って今回の実施に至った。赤ちゃんは10月に帝王切開で生まれ、生後の経過も順調だという。

この赤ちゃんは、妊娠24週の妊婦健診で心臓に異常が見つかり、かかりつけの産婦人科から国立成育医療研究センター(以下、成育)の周産期母性診療センターに紹介された。

「重症大動脈弁狭窄症」は、出生1万人あたり3.5人の割合で起こる先天性疾患だ。全身に血液を送る左心室の出口である「弁」の間隔が狭くなってしまうもので、重症の場合、生後直後から心不全を引き起こし、生命の危険を伴う。胎児の心臓は母親のお腹の中にいる時に育っていくが、胎内で心臓が育ちきる前に治療を施すことで、正常に近い心臓の発育を促し、予後が改善されるというメリットがあり、今回の手術が行われた。

親指の先ほどの大きさの心臓に針「ここぞというタイミングで」
手術イメージ

手術は複数科の医師たちが集まり、チームで行われた。母親と胎児の臀部に麻酔を打ったあと、母親のお腹の上から子宮内の胎児に針を刺し、胎児の左心室へと進める。その後、針に沿って大動脈弁にバルーン付きのカテーテルを入れ、最後にこのバルーンを膨らませて弁を広げることが目的だ。この手法が技術的に成功するのは約70〜90%、このうち左右の心室を使う血液の循環を成り立たせることが出来るのは30〜50%と言われる。

国立成育医療研究センター 周産期・母性診療センター 左合治彦副院長

国立成育医療研究センター 左合治彦副院長
「赤ちゃんの心臓自体は親指の先ほどの大きさしかなく、針を刺すにはピンポイントで心臓の左心室の一番頂点のところから入っていかないと、周りの血管を傷つけ、心機能が悪化してしまう恐れがある。赤ちゃんがうつ伏せだったりすると、針を刺すことが出来ないので、前日から胎児の位置を入念に観察し、ここぞというタイミングを見計らい、手術を行った」

超音波エコーのモニターをつぶさに観察しながら、左合副院長が胎児の心臓に針を刺し、その後のカテーテルは小児循環の医師がカテーテルを入れた。小児循環では普段から生後間もない赤ちゃんにもカテーテルを入れているため、熟練した技量を持ち合わせている。一方で万が一、手術中に胎児の状態が悪くなり、緊急で取り上げる事態に備え、新生児科の医師も待機して完璧なバックアップ態勢で臨んだ。


「おお!」

カテーテルについたバルーンを胎児の大動脈弁で膨らませると、オペ室からは医師たちの歓声が上がった。エコーモニターには、バルーンが膨らむ様子がはっきりと映っていた。

国立成育医療研究センター 左合治彦副院長
「生まれてからそのまま放っておくと生後すぐに亡くなってしまう病気や、生まれてからの治療では手遅れになる疾患というものが”胎児治療”になっている。今回のケースは“このタイミングであれば治療の効果が期待できるだろう”という状況で実施している。これはやはり、最初のかかりつけ医の妊婦健診で、医師がこういう病気に興味を持ち、しっかり診断して成育に連絡をとってきてくれたことが大きかった」

「生まれる前の赤ちゃんも患者」という概念 胎児治療の発展に「出生前検査」
胎児のエコー画像を診る林伸彦医師(FMF胎児クリニック東京ベイ幕張)

“胎児治療”は、子宮内の胎児の病的状態が正確に診断されるようになって初めて可能となる。そのため、「出生前検査」の技術の進歩と共に「生まれる前の赤ちゃんも治療の対象である」という概念が欧米で生まれた。1980年代に超音波技術が急速に進歩し、現在国内では「双胎間輸血症候群」「膀胱・羊水腔シャント術」「先天性横隔膜ヘルニア」など、成育だけでも1000例以上の胎児治療が行われている。しかし、海外と比べると国内で胎児治療の対象となる疾患はいまだ限られており、今回、日本で初めてとなった胎児の「先天性心疾患手術」は、米国ではボストン小児病院を中心に2000年から既に100件の治療が行われているという。

イギリスで実際に胎児治療にも携わり、現在は千葉市で胎児について詳しくに診ることができる「胎児診療」専門の「FMF胎児クリニック東京ベイ幕張」・林伸彦院長(36)は海外と比較した日本の「胎児治療」の課題についてこう話す。

FMF胎児クリニック東京ベイ幕張 林伸彦院長
「日本ではダウン症以外も対象とした出生前検査、すなわち“胎児健診”が一般的には知られていない。今回の胎児の心臓手術にしても今後、治療できる時期に見つかる赤ちゃんが果たしてどのくらい出てくるのか。胎内で手術を受けることができる時期に、病気が見つからないというのが、本当に日本における長年の課題で、そこが解決しない限り、胎児治療の症例数は海外のように増えないのではないか」


林医師が留学していたイギリスでは、妊娠が分かり、胎児の心拍が確認されると全ての妊婦が助産師から「出生前検査」の説明を受ける。検査の内容は胎児の精密超音波検査と母体血清マーカーを組み合わせたもので、そこでは受けるメリット、デメリットについて話があり、妊婦が「受ける」ことを望めば、病院の「胎児科」で妊娠12週と20週の2回、出生前検査を受けることができる。この2回とも妊婦が負担する費用は無料だ。イギリスがここまでやるのは、全ての女性に「自主的選択の機会」と胎児に「治療の機会」を与えるためという理由がある。それは自分のお腹にいる赤ちゃんのことを「知る権利」「知らない権利」「胎児治療するかどうか」を女性自らが選べるということだ

出生前検査などでより細かく胎児の状態を見ることが出来れば、仮に疾患などが見つかった場合でもその疾患が治療できるものなのか、出来なかったとしても生まれてからどのような準備が必要となるのか。また、疾患の程度によっては最悪の場合、生まれてくることができないかもしれない、など様々な想定ができ、妊婦やその家族は心理的にも環境的にも準備ができる。そして何よりも、治療に結びつけることができた場合、赤ちゃんにとって大きなメリットがある。

日本では一般的に妊婦健診などで超音波エコーを用いて医師が赤ちゃんの状態を毎回確認するが、限られた時間の中で胎児の状態を細かく診ることは難しく、かつ専門的な技量も必要とするため、たくさんの先天性疾患を系統立てて確認するには限界があるという。そのため出生前検査を受けるにはオプションとして医療機関に自ら申し込み、自己負担で受ける必要がある。検査に対する説明も医療機関によってはない場合もある。

FMF胎児クリニック東京ベイ幕張 林伸彦院長
「胎児診断される子が増えていかないと治療も進まない。治療できるようにならないと、診断も進まない。そういう意味では、今回の成育の心臓手術成功で妊婦さんが、胎児の心臓を細かく見てもらおうとか、あとは医師がこうした病気は見逃してはいけないんだ、と思って見るようになれば良いと思う」


林医師は英国で胎児治療を学んだ際、胎児について治療できる病気が多くあることに驚き、日本でも治療で救える赤ちゃんを救いたいという思いから、まずはその前提となる「胎児診断」の必要性を強く感じ、胎児診療専門の病院を始めたという。

「診断無くして治療なし」“出生前検査“ネガティブだけではない、点はなく線の議論を
今回の胎児の心臓手術では、妊婦健診でかかりつけ医が赤ちゃんの心臓疾患を発見でき、成育にスムーズに結び付けたことが大きかった。

国立成育医療研究センター 左合治彦副院長
「日本では出生前検査に関して、何かというとすぐに“中絶に繋がる”というネガティブなイメージがある。何か異常があるというだけでレッテルを貼られてしまい、諦めていることもあるのかと思う。やはり“診断無くして治療はない”。問題は診断された結果をどう使うか、ということが大切で、胎児治療に関しても知っていただくことで救えないと思った命が救える可能性があるということ。技術は進歩しているので、将来に向かってそういうものが増えてくると思ってもらえたらいいと思う」(TBS報道局 宇治美絵)

引用元:
「親指の先端くらいの大きさ」母親のお腹にいる赤ちゃんの心臓手術成功  日本における「胎児治療」 希望と課題(TBS NEWS)