──タツノオトシゴはユーモラスな姿が愛らしいだけでなく、オスが妊娠・出産する不思議な生態を持っている

タツノオトシゴはその名のとおり小さな竜のような出立ちをしており、愛らしい姿がダイバーたちにも人気だ。一般的な魚と同じように小さなヒレを持っており、それを使って直立姿勢を保ちながら器用に泳ぐ。日本では北海道南部から沖縄までの広い海域で見ることができるが、温かい海域を好む種が多いことから、伊豆半島より南の海でダイビングをすると比較的見つけやすい。

とはいえ、ユニークな姿をひと目見たいなら、海のなかをかなり集中して探し回ることになるだろう。タツノオトシゴは、かくれんぼの名人でもあるのだ。丸まった尻尾をうまく使い、海藻や岩、そして人工のブイなどに絡まって体を固定し、身を隠すのが得意だ。

それだけでなく、周囲の色にあわせてカメレオンのように体の色を変化させることができるため、発見の難易度はさらにアップしている。体の表面に色素胞と呼ばれる細胞を持ち、この細胞内の物質が移動することで体の色が変化するのだ。藻に隠れる習性とあわせて、外敵に見つかりにくいよう生き抜くための工夫が凝らされている。

■ 日本では竜、英語では馬?

日本では漢字で書くと「竜の落とし子」だが、英語ではシーホース(海の馬)と呼ばれる。体に対して直角に曲がった顔の部分が馬のように見えることと、背中側がたてがみのように見えることから名付けられた。

ちなみに、人間の脳にも短期記憶と空間学習を担う海馬という部位があるが、この名前は断面がタツノオトシゴに似ていることから付けられている。タツノオトシゴは海に棲む馬のようにも小さな竜のようにも見える、なんとも不思議な生命体だ。

世界で47種ほどが確認されているタツノオトシゴのうち、うち日本にいるのは7種ほどだ。体長2センチにも満たない小さな個体も多いが、最も大きくなるオオウミウマという種では、成長すると体長25センチにまで達する。

特徴的なのは何といっても、驚いたようなユーモラスな顔つきと、角ばった体つきだろう。面長の顔の先端は管状に突き出た「吻(ふん)」になっており、ここが人間でいう口にあたる。プランクトンが近づくとこの吻を予想外にすばやく動かし、器用に一瞬でエサを吸い込む。

全身はまるでエビのような殻に覆われているかのようにも見えるが、これは実際には殻ではなく、皮膚の下を支えている骨格が浮き出たものだ。分類上も甲殻類というわけではなく、魚類の一種という扱いになっている。

■ 地球上で唯一、オスが妊娠するいきもの

ユニークなのはこのような外観だけではなく、繁殖方法もかなり独特だ。タツノオトシゴのなかまは地球上で唯一、オスが妊娠する動物だ。

シドニー大学のカミーラ・ウィッティントン博士研究員(2015年当時。現在は同大上級講師)は、豪カンバセーション誌に寄稿した『タツノオトシゴのお父さんの秘密の性生活と妊娠』という記事のなかで、そのユニークな生態を紹介している。記事は「性別のステレオタイプを打ち壊すという点において、タツノオトシゴとそのなかまの種はかなり極端な例だといえるでしょう」と述べる。

春から秋にかけての繁殖期、オスとメスが互いにパートナーとなると、時に情熱的に尾を絡ませ合いながら、数時間から数日をかけた求愛ダンスを繰り広げる。オスの腹部には育児嚢という袋が備わっており、メスはこのなかに産卵管を挿し込む。無事に卵を送り込むと、メスの仕事はここでおしまいとなる。卵は無精卵の状態で送られ、オスが育児嚢のなかに精子を放つことで受精する。オスの体内で受精するめずらしい方式だ。

その後、オスは栄養豊富な脂肪分やカルシウムなどを胚に供給し、これにより胚はタツノオトシゴらしい立派な骨格を発達させてゆく。1週間から3週間もすると卵がオスの育児嚢のなかで孵化し、安全な環境ですくすくと成長してゆく。さらに1週間ほど経つとオスのお腹は大きく膨らみ、これで出産の準備が完了だ。出産のタイミングが来ると腹部の筋肉が強力に収縮し、稚魚たちは海のなかへと旅立ってゆく。

ネイチャー・ワールド・ニュース誌は、その数は数十匹からときに1000匹にも及ぶと紹介している。生存競争は厳しく、生体になることができるのはわずか0.5%ほどだ。オスは出産後しばらくは食事をしないが、数時間経って空腹になったときに幼体が近くにいれば、自分が産んだ子供を食べてしまうことすらある。

■ 進化の過程でオスの妊娠へと切り替わる

このような独自の出産方法は、タツノオトシゴとその近縁種が長い時間をかけて獲得してきたものだ。通常ならば体外から持ち込まれた胚は異物として認識され、免疫系に攻撃されてしまう。タツノオトシゴのなかまは免疫の反応感度を落とすことで、体内に持ち込まれた卵が孵化してもそれを許容するしくみが完成したようだ。

このしくみは、米国科学アカデミー紀要に掲載された近年の研究によって明らかになった。研究はヨーロッパの国際チームが行い、タツノオトシゴのなかまであるヨウジウオ科魚類について、種の進化上の分岐に着目して遺伝子を比較した。すると、体外受精から進化の過程で徐々に雄性妊娠へと切り替わってゆく段階で、妊娠に関わる遺伝子の変化が起きていた。さらにこの変化は、外部からの病原体に反応する適応免疫系の変化と常に同時に起きていたことが確認されたという。

このことから研究チームは、タツノオトシゴが進化の過程で免疫系の感度を犠牲にし、それと引き換えに雄性妊娠を獲得したと考えている。免疫系を犠牲にすることで胚を守るしくみ自体は多くの脊椎動物にも共通する部分があるとみられており、人間の免疫異常への研究にも応用が期待されている。タツノオトシゴの場合は進化の過程で雄性妊娠へと切り替わったため、このような検証にとくに適していたとのことだ。

愛くるしい見た目に目を奪われがちなタツノオトシゴだが、オスが妊娠・出産するというめずらしい生態を備えているほか、学術的にも貴重な研究資料となっているようだ。

青葉やまと

引用元:
オスが妊娠して赤ちゃんを出産...タツノオトシゴの不思議な生態(Newsweek)