不妊治療を受けているみなさんに定着しているイメージが、「1匹でも精子がいれば、顕微授精で妊娠できる」というものです。前回の連載(「 精子に隠された不都合な真実 」)での「顕微授精は精子の状態が悪い方には不向きです」という、従来とは真逆の話にみなさんびっくりされたようで、様々な質問をいただきました。「これまでたくさんの赤ちゃんが生まれているのだから、顕微授精は有効なのではないか」という反論や、「もしそうだとすれば、他にどんな方法があるのか」等々です。

 現在、15人に1人は生殖補助医療で生まれており、その大半を顕微授精が占めています。顕微授精でたくさんの赤ちゃんが生まれているのは事実ですが、「精子の状態が悪い方には不向き」というのもまた事実です。

精子の状態が悪い人に不向きな顕微授精 その実力と限界

精子の状態が良い夫婦が施設の妊娠率を上げる
 胚培養士は、倍率が200〜300倍の顕微鏡で観察して頭部が 楕円だえん の精子を探しますが、この倍率では精子はゴマ粒程度にしか見えず、細かい点を判断するのは困難です。そこで、デジタルズームで6000倍に拡大して観察する方法が開発されました。

 この連載では、「隠れ造精機能障害」と「精子精密検査」という言葉を繰り返し使いました。精子は透明で、普通の顕微鏡で観察しても、頭部の形と運動しているかどうかしか見えません。6000倍でも得られる情報は限られています。私たちの研究チームは様々な染色法を開発して、今まで隠れていた異常を顕微鏡で見えるようにしました。これが「精子精密検査」であり、見た目が良く、元気よく泳いでいる精子にも、さまざまな異常が潜んでいることがわかりました。

 精子に異常が潜んでいれば、その種類と程度に応じて妊娠する可能性は下がっていきます。世の中、重症の造精機能障害の男性があふれているように思えますが、そんなことはありません。精子の情報が少ないまま顕微授精をしても、クリニックの平均妊娠率が高かったのは、精子の状態が良いご夫婦の割合が多かったからです。

施設の平均妊娠率より、私たち夫婦ならどうなのか
 みなさん、ホームページでクリニックの妊娠率をご覧になって、どこを受診しようか、お悩みのことと思います。高効率体外受精(人工卵管法)が開発され、必要な精子の「数」という面では、今までのように「顕微授精しかない」という状況ではなくなりました。顕微授精を繰り返しても成功しなかったご夫婦の約2割が、人工卵管法で妊娠しました。

 一方、どちらの方法でも妊娠できなかった残りの8割のご夫婦は、私たちが細胞崩壊と呼ぶ、ぱっと見て精子の異常がわかるような方はむしろ少数であり、選別後に見た目の良い精子が元気よく泳いでおり、「精子に問題はありません」と言われてきたご夫婦が大半です。そして、このようなご夫婦の精子には様々な異常が潜んでいました。

 精子の検査が進歩すると、今までのような「精液の状態が悪いから顕微授精しかない」、逆に「精子に問題はありません」という簡単な説明では済まなくなります。今後は、事前に精子の詳細情報を収集し、ご夫婦の精子は、どこにどの程度の問題があるのか、その場合、「不妊治療が可能か」「どの授精法が適しているか」「どのくらい妊娠の可能性があるか」などを細かく説明することが求められます。前回の連載でTDCプロトコール(TDCは東京歯科大学、プロトコールは手順の意味)として紹介した、精子選別、精密検査技術の普及を図り、精子の異常別に妊娠率を算出すると、顕微授精の実力と限界が明らかになります。

妊娠率を上げるには、分子(妊娠数)を増やすか、分母(施行例数)を減らすしかありません。顕微授精、胚盤胞培養、胚凍結保存を行うと、各ステップで弱い胚が脱落していきます。その結果、凍結・融解胚の移植例数を分母にして妊娠率を算定すると、値は高くなります。厳しい言い方ですが、分母になれるのは精子と卵子の状態が良いご夫婦です。

 もう一つ、重要な話があります。卵子は、卵胞内で約3か月かけて育ちます。ホルモンにより、卵の発育を補助する過排卵誘発法が開発され、女性側の治療成績は飛躍的に向上しました。実は、ホルモンによる補助が有効なのは最後の2〜3週間であり、そこまで自力で育った卵子がホルモンの恩恵を受けることができます。

 排卵誘発で卵子が育ち、奥様が採卵台に上がったご夫婦は、その後の受精、胚移植、妊娠の臨床統計にカウントされます。一方、ホルモンを投与しても卵子が育たず、採卵台に上がらなかったご夫婦を臨床統計に加えると、妊娠率はさらに低下します。生殖補助医療は「重症」が苦手なのです。

新技術導入を競うクリニック リスクも伴う
 生殖補助医療は、先進技術を積極的に導入して、妊娠率向上を図るという傾向が強いことが特徴です。各クリニックは競って新技術を導入し、施設の高度性をアピールします。しかし、医療は必ずリスクを伴うものであり、生殖補助医療だけが例外ではありません。例えば、元々の精子や卵子の機能異常に加えて、排卵誘発や、私たち専門の研究者から見て選別精度が低い精子を用いた顕微授精、長期体外培養など、開発されて日が浅い医療技術には、まだ不明な点が多く残っています。

 今までは「元気なお子さんが生まれましたよ」で済んでいましたが、ヒトの一生は長く、平均寿命の80歳過ぎまで、生殖補助医療で生まれた子供の健康を注意深く見守っていく必要があります。晩発性障害(長い潜伏期間を経て症状が表れる障害)の問題はこれからです。(東京歯科大学市川総合病院・精子研究チーム)

引用元:
精子の状態が悪い人に不向きな顕微授精 その実力と限界(ヨミドクター)