出産ジャーナリストの河合蘭さんによるFRaU Web連載「出生前診断と母たち」。現代の妊娠は、さまざまな事情から、親が、妊娠継続について重い決断をする場面も増えた。大切なのは、親が自分たちで考え、そして自分たちで決断することではないだろうか。
前回は、出生前診断に至る前に妊娠16週、つまり5ヵ月の1週目で破水してしまいながらも無事に出産した例をご紹介した。中絶もやむを得ない状況で、576グラムで奇跡的に生まれた女の子・佳奏(かなで)ちゃん。小さく誕生してさまざまな心配事があったが、それをどのように乗り越えているのか。今回は小さく誕生した女の子がどのような成長を遂げているのかをお伝えする。
先のリスクを考えるより「今できること」を考えた
障害の可能性についてはどうお考えになっていましたか? という私の質問に対して、侑香さんはこう言った。
「もちろん、いつも心配はしていました。でも子どものことは、その時、その時のことに向き合っていくしかないと思います」
そして、いつも心がけてきたことを教えてくれた。
「私は、『あんなリスクもある、こんなリスクもある』と、まだ起きていないことで心をいっぱいにするのではなく、『今、できることは何? 』と考えるようにしてきました」
そう言う侑香さんも、佳奏ちゃんが生まれてNICU(新生児集中治療室)に入院した当初は、佳奏ちゃんにしてあげられることが見つけられなかった。
「全然わかっていなくて、はじめの頃、私はNICUに絵本を持っていったんですよ(笑)。でも、病院では母乳を搾って届ける方法をはじめ、いろいろな、私にできることを教えてくれました。保育器にかけるカバーを手作りすることも提案してもらったのですが、これも、気持ちが落ち着いてとてもよかったと思います」
妊娠16週で破水、576グラムで誕生…「奇跡の出産」少女「成長の奇跡」
母の侑香さんが見守る中でエレクトーンに向かった佳奏ちゃん。佳奏ちゃんのエレクトーン演奏は迫力があって、とてもこの年齢の子の演奏とは思えなかった
他の子どもよりも発達はゆっくり
佳奏ちゃんは、今、クラスの他に子どもに較べれば身体は小さく、発達はゆっくりだ。でも、大きな問題をかかえることはなく元気に学校生活を送っている。
侑香さんに妊娠中のお話を聞き終わるころ、佳奏ちゃんが小学校から帰ってくる時刻になったので、途中まで迎えに行って写真を撮らせてもらい、一緒に帰った。そして帰宅後、佳奏ちゃんは、エレクトーンでディズニー映画『モアナと伝説の海』のテーマ曲を聞かせてくれた。
侑香さんが小さいころから教えてきたという佳奏ちゃんのエレクトーン演奏は、海の神様に選ばれた少女・モアナがオールをつかんで、大海原へ漕ぎ出す光景をありありとイメージさせてくれた。佳奏ちゃんの小さな両手両足が、力強くリズムを繰り出す。小学校1年生の子の演奏とは、とても思えない演奏だった。佳奏ちゃんは小さな時から侑香さんがエレクトーンを弾くとよく踊っていたそうだが、侑香さんと同じように音楽が大好きな女の子に育っていた。
侑香さんは、「あの時、長良医療センターに駆け込んで医師にリスクの説明を聞いたときにひとつ選択が違っていたら……」と思うと「今でも身震いがする」と言う。
そして侑香さんは、入院中に医師からもらった「この子は奇跡を起こしてくれるかもしれないよ」という言葉を、今も忘れることなく大切に心にしまっていた。これは、侑香さんにとって、子育ての原点に帰れる言葉なのだろう。そして、希望が湧く魔法の言葉になっているのかもしれない。
「あんなに小さく生まれた子なのだから、ゆっくり成長するのは当たり前のことだと思っています」
侑香さんにとって大変だった日々は、子育ての力にさえなっているようだ。
本当に厳しい出産でした
侑香さんと佳奏ちゃんの治療に当たっていた産科医のひとりである高橋雄一郎さん(岐阜県総合医療センター胎児診療科部長・産婦人科主任医長/元・長良医療センター産科医長)に話を聞いた。
高橋さんによると、谷さんのような妊娠中期の破水は産科学的に見ると非常に厳しい事態で、前述のようにほとんどの場合は妊娠中絶になる。この時期の人工羊水中注入は技術的にも難しく、まだ、いわゆる「一般的な治療」としては扱われていないため、選択できる病院はきわめて少ない。
「破水が怖いのは、単に子宮に穴があくだけではなくて、子宮の中に菌が少しずつ入り込んで繁殖するということなんです。母体の血液循環の中にその菌が入ると、菌が全身に回ってしまう『敗血症』を起こすことがあります。そうするとおかあさんは急に高熱に見舞われ、血圧が大きくて低下して意識がなくなり、亡くなってしまうことすらあり得るのです。
赤ちゃん側も、菌がたくさんいる羊水を飲みこめばやはり敗血症の危険性がありますし、極小未熟児として生まれても今度は脳性麻痺など深刻な後遺症の心配があります」
もちろん、高橋さんたちも、母体の命が脅かされるような治療をおこなうことはできないと考えてきた。だから、治療は誰にでも提案するわけではなく、血液や羊水の検査で感染が進んでいないことを確認した上で、危険性が低い人だけに「選択肢のひとつ」として示している。そして、治療が始まっても、感染が進み始めた兆候があれば、佳奏ちゃんが直ちに帝王切開で取り出されたように、即刻、治療は中止される。
障害が不安だと感じたり、家族から強く反対された人に奨めるようなこともしていない。あくまでも、医学的に見込みがあり、両親の意志も堅い、限られた人だけに提供している治療だという。
長良医療センターの統計によると、妊娠22週未満で破水し同病院に来た母親のうち、約4分の3は妊娠を継続できなかった。
「継続できない方の中には、心がついていけなくて、苦渋の決断をする方もいらっしゃいます」と高橋さんは言う。
「妊娠を継続した赤ちゃんのうち、約8割の子は生きて生まれてくることができ、ほとんどの子は脳にも肺にも後遺症が残りませんでした。
でも一方では、生まれる前に亡くなってしまった赤ちゃんもいますし、搬送先で生まれた赤ちゃんのひとりは、仮死状態で生まれ、脳に障害を持つことになりました」
なぜ厳しい治療に挑むのか
他施設が実施していない中、高橋さんたちは、なぜ、このような厳しい治療にチャレンジしているのだろうか。そう聞くと、こんな答えが返ってきた。
「命に対して、医療は、謙虚でなければならないと思うのです。命の可能性は、医師でも本当にはわかりません。
医師が一般的に『これはあきらめるしかない』と考える状況は、いろいろあります。そして、これは絶対にだめだ、と医師が決めてしまったら、たいてい、命はそこで終わってしまいます。
でも実際は、そんな状況でも助かる子に遭遇することはあります。それなら、ある程度可能性が見いだせるケースを探して、積極的に命を救おうとチャレンジする病院があってもいいのではないでしょうか。
一般的に『これより先は手を引く』と決められている線を越えるのは簡単なことではありませんが、私たちがデータを蓄積していけば、もしかしたら、これまで救えなかった命を救える未来を作っていけるかもしれません」
高橋さんの言葉を聞いていると、私は、新しい医療技術が生まれる波打ち際に立って、波音を聞いているような気がしてきた。そこは夢と不安が交錯する場所だ。ただ、不安もあるが、振り返れば、今、当たり前にある医療も、かつては、誰かの夢と不安の中で揺れていた時期があったはずだ。
妊娠16週で破水、576グラムで誕生…「奇跡の出産」少女「成長の奇跡」
佳奏ちゃんは大きなカバンを背負って元気に登校している。高橋医師らが医療従事者としてできる限りのことをやりたいと尽力し、世に誕生したかけがえのない命だ
「この光景は希望です」
高橋さんが率いる産科チームは、2005年以来、さまざまな理由で羊水がなくなった妊婦さんたちに人工羊水注入をおこなってきた。胎児医療で有名な病院なので、「不妊治療でやっと授かったのでどうしても産みたい」という高齢妊娠の夫婦などが、時にはかなり遠方からやって来て高橋さんたちに必死に助けを求めるという。そうした、最先端施設ならではの切実な事情もある。
入れている羊水は、人肌に温めた生理食塩水で特別なものではない。
高橋さんたちは現在、データを蓄積しながら、この治療が安全で、かつ有効だということを学術的な場で示す準備をしている。
「早い時期に破水してしまったり、早産になってしまったりする人は、意外に多いんですよ」
高橋さんたちは、早期破水や早産の可能性を妊娠初期から推測し、抗生剤や消毒などで予防をする独自な検査方法も実施している。
予防ができれば、それは一番いいし、これは早産を経験した女性が次の子を妊娠する勇気にもつながるだろう。高橋さんたちはこちらについても、学術的なデータを蓄積している最中だ。
インタビューの最後に、私は、小学校に上がり、通学かばんを背負っている佳奏ちゃんを高橋さんに見てもらいたくなって、撮ったばかりの写真を見せた。田んぼ道を下校する途中の佳奏ちゃんだ。
産科医は、このような、病院から巣立った子たちの成長した姿を見る機会はほとんどない。高橋さんは、写真をじっと見つめて「涙が出そうなくらいうれしいです。私たちにとって、本当にこの光景は希望です」と言った。そして、現場の本音を語ってくれた。
「医療者は、実は、いつもすごく葛藤しながら治療をしているんですよ」
大きな病院では、たくさんの医師がカンファレンスを開いて、この親子はどうしてあげたら一番いいのか、みんなで激論を闘わせた末の結論を、患者さんに伝える。でも、それが予期せぬ結果になってしまい、あの治療をしなければよかったと悔いることもあるのが現実だ。
子どもの障害という問題もかかわるから、高橋さんたちは家族とよく話し合い、それぞれに違う「幸せの基準」についても考える。正解のない世界で、高橋さんたちは、家族と共に悩み続けてきた。
「医師が、限られた情報しかない中で、簡単に胎児の命を決めてはいけないんですよ。それは偏見というものだと思います」
そんな、命に対して謙虚な医療に欠かせないもの、それは「希望」だ。
この子は奇跡を起こしてくれるかもしれない――佳奏ちゃんは、かつて、そう言われて、生まれてきた。そしてこの日は、佳奏ちゃんが高橋さんに希望を与えていた。未来の医療は、佳奏ちゃんのような困難を乗り越えて生まれてきた子どもたちの生命力によって勇気づけられる。そして、それが希望のバトンとなって受け継がれることによって、支えられている。
引用元:
妊娠16週で破水、576グラムで誕生…「奇跡の出産」少女「成長の奇跡」(Yahoo!JAPANニュース)