出産ジャーナリストの河合蘭さんによるFRaU Web連載「出生前診断と母たち」。出産の前には出生前診断により胎児の病気がわかったり、別のハプニングがあったりして、生命の危機や、子どもが障害を持つ可能性を告げられることがある。そんな時は、妊娠を継続するかどうか決断をしなければならないことも多い。大切なのは、親が自分たちで考え、そして自分たちで決断することではないだろうか。
7分の1確率でダウン症と言われ家族は反対…でも産むことを決めた母
今回はわずか妊娠16週、つまり5ヵ月の1週目で破水してしまった例をご紹介する。通常は妊娠継続が不可能で中絶を選択せざるをえないという状況に直面したお母さんは、何を考えたのだろうか。
生存限界前の妊娠16週で破水!人工羊水注入で実現した「奇跡の出産」
生まれた病院でみんなの熱い歓迎を受ける佳奏ちゃん。佳奏ちゃんの右にいるのが侑香さんで、左は当時の産科部長で、NHK「プロフェッショナル・仕事の流儀」にも登場した産科医の川鰭市郎さん 撮影/河合蘭
この病院で生まれた女の子が遊びに来た
私が初めて佳奏(かなで)ちゃんにあったのは、今から3年前の春、国立病院機構長良医療センターの産科病棟へ撮影にうかがった時のことだった。当時、この病院は胎児治療の拠点として全国に知られていて、その後、岐阜県総合医療センターに移って胎児診療科を立ち上げることになる医師たちが先進的な治療に果敢に取り組んでいた。
その日、私がふと廊下に出ると、医師や助産師たちが集まっていて、ひとりの小さな女の子を取り囲んでとても楽しそうにしていた。その、お母さんにくっついてはにかみながらも嬉しそうにしていた女の子が、この病棟で奇跡のような生命力を見せて卒業していった佳奏ちゃんだった。
お母さんの谷侑香さん(当時・38歳)は、当時、全力で治療に挑んで産んだ佳奏ちゃんがまもなく小学校に上がるので、それを記念して思い出の病棟にやって来たのだと言う。
通常は破水すれば48時間以内に出産
侑香さんは佳奏ちゃんを妊娠中、わずか妊娠16週(4か月)で「早期破水」をした。
妊娠16週の早期破水――それは、私が聞いたこともないハイリスク妊娠だった。
「破水」とは、子宮内で胎児を包んでいる膜「羊膜」が破れて羊水が出てきてしまうこと。本来は陣痛期の終わりに起きるもので、陣痛前に膜が破れたら、菌が侵入して母子ともに危険だ。そのため「破水をしたら、48時間以内に出産しなければならない」と考える医師も少なくない。
だから、月満ちる前に破水したら、早産を覚悟で赤ちゃんを出す事態となりかねない。しかし佳奏ちゃんは妊娠16週とまだ妊娠も半ばのころで、赤ちゃんが体外で生存できる限界とされる22週まで、まだ6週間もあった。そのため、このようなケースでは、ほとんどの場合、人工妊娠中絶という形になる。
どうしても産みたかった
しかし、侑香さんは、どうしても佳奏ちゃんを産みたくて、陣痛や感染を薬で抑えながら「人工羊水」を注射器で子宮に注入するという治療をする決心をした。これは胎児医療に精通したこの病院だから選べた道だったが、それでも、病院側にとって、深刻な感染症や、子どもの後遺症もあり得る、ハードルの高い治療だったことだろう。
私は、佳奏ちゃんを囲む医師や助産師さんたちの、その熱例歓迎ぶりに納得した。
病棟で撮った写真を送ると、侑香さんは「佳奏はこんなに小さかったんです」と、佳奏ちゃんが生まれたときの写真を私に送ってきてくれた。
佳奏ちゃんは、最終的に、妊娠25週で生まれた。
生存限界は22週だが、世界一のレベルを誇る日本の新生児医療をもってしても、まだまだ後遺症が心配な時期での出産だった。でも、妊娠16週から25週まで、侑香さんは、破水した子宮で9週間も妊娠し続けることができたのだから、これは見事というほかはない。その後、佳奏ちゃんは4か月間のNICU生活を送ったのち、無事に退院して大過なく育った。
侑香さんは、一体どんな治療を受けたのだろうか?
1年後、私は再び侑香さんと、小学生になった佳奏ちゃんに会いたくなって、ご自宅を訪ねた。
中絶が可能な時期の破水
侑香さんは、郊外の住宅地に教室をかまえるピアノとエレクトーンの先生だった。当時は、まだヤマハのシステム講師として勤務していて、その、天地がひっくり返るように妊娠生活が変わってしまった日も出勤予定だったという。ところが朝起きて「『何かが流れている』と感じたので、もしや」と思って長良医療センターを受診すると、流れてきたものは案の定、羊水。
医師は、長良医療センターには人工羊水注入という選択肢があること、しかし、穴がふさがるわけではないので入れた羊水はいずれ出てしまうこと、感染や非常に早い時期の早産では脳性麻痺や未熟児網膜症など重い後遺症が残る可能性もあるというリスクの説明をしたあと「人工妊娠中絶は妊娠22週まで可能ですが、どうされますか?」と聞いて来た。
その時、侑香さんには何の迷いもなかったという。
「子どもをすくうためにできることが何かあるなら、あきらめることなんてできません」
侑香さんは医師にそう答えると、入院の手続きが始まり、まもなく人工羊水注入の第一回目が実施された。
「人工羊水注入は、羊水検査の逆で、お腹から子宮まで長い注射針を刺して人工羊水を入れます」
侑香さんは当時の事を思い出し、羊水を入れたときのことを詳しく話してくれた。
「お腹が張らないように子宮収縮抑える薬を点滴して、赤ちゃんに針が刺さらないように超音波で安全な場所を探しながら行なうのです。でも、それは予想以上に大変なことでした」
超音波の画面が侑香さんからも見えたが、赤ちゃんは子宮壁にぺったりとくっついた不思議なポーズをとっていたという。子宮の中に羊水がほとんど入っていないから、身体を動かすゆとりがないのだ。ということは、赤ちゃんに刺さらずに針を入れる場所を探すのも至難の業、ということになる。
侑香さんは「赤ちゃんがこんなに苦しそうな恰好で頑張っているのだから、私も頑張らなくては」と自分に言い聞かせながら緊張に耐えた。ようやく場所が見つかり、ひとりの医師が侑香さんの手を握って、もうひとりの医師がそのわずかな隙間に羊水を注入した。
羊水が入ってくるのは、侑香さん自身にもよくわかった。まもなく、赤ちゃんが、画面の中でふわっと浮かび上がり、さも嬉しそうに動き出すと、侑香さんの心は喜びと安堵で満たされた。
(ああ、よかった!! )
初回の注入量は100ccとティーカップに1杯程度だったが、まだ妊娠16週で身体が10センチくらいしかない佳奏ちゃんには十分な子ども部屋だ
やっと入れた羊水がどんどん出ていく
治療は、つらいことも多かった。緊張や痛みに耐えて、やっと入れた羊水も、膜に穴があいている限りはやがて出て行ってしまう。
実は第1回の注入も、張り止めの薬の副作用に見舞われていたまっ最中に、羊水が一気に流れ出てしまった。その時は、侑香さんもすっかり取り乱して、しばらく声をあげて泣いた。事前に説明を聞いていたことでも、心は簡単にはついていけなかった。
出ていくまでの期間は人それぞれ違うが、侑香さんは、いつもすぐに出てしまい1日も持たなかった。やっと元気に、のびのびと遊ばせてあげられるようになったのに、また、元通りになってしまうのだ。点滴で入れた薬の副作用も、侑香さんは強く出てしまう方だった。動悸や息苦しさ、さらには頭痛や嘔吐が襲ってくる。「がんばりたい!」と思っているのに、心と身体は時々悲鳴をあげ、その無理はしばしば止まらない涙となってあふれた。
でも、人工羊水注入は「たとえすぐに出て行ってしまっても、羊水がない状態がずっと続くよりは、赤ちゃんにとってよいこと」と医師から聞いていたので、それが侑香さんにとっては心の支えだった。医師からは「週に一度の水浴び」と思うように言われていたという。それに、赤ちゃんを超音波で見ながら、まだ元気だから治療を続けられそうだという見通しを告げながら、侑香さんにこう言ってくれた医師もいた。
「お母さん。この子は、ひょっとしたら、奇跡を起こしてくれるかもしれませんよ」
生存限界前の妊娠16週で破水!人工羊水注入で実現した「奇跡の出産」
産科医療の技術や母子の頑張りが、この奇跡に結び付いた 写真提供/提供・谷侑香
急遽帝王切開に
人工羊水注入は、週に一回のペースで、合計6回おこなわれ、一回ずつが簡単ではなかった。侑香さんは血管も細く、注射があざになってしばらく痛むこともしばしばあった。でも、感染の兆候はなく、陣痛も起きないまま日は過ぎ、侑香さんは胎動を感じるようになり、ついに生存限界とされる22週を通過。「後遺症のことも考えると、ここが目標」と言われていた24週も超えた。
治療終結は、その翌週に、突然にやってきた。
「胎児徐脈」が頻繁に起きるという赤ちゃんに危険が迫っているサインが現れ、急遽、帝王切開が決まったのだ。
その決定からわずか約3時間後、赤ちゃんは、576gで生まれてきた。
産声は、聞こえなかった。
でも翌日、目が覚めると、侑香さんは夫と共にNICUへ行き、初めて佳奏ちゃんに会って、2人で決めた名前を呼ぶことができた。
「佳奏ちゃん」
「よく頑張ったね! 会えてよかった!」
侑香さんが術後の麻酔で長く眠っていた間、佳奏ちゃんは一時的に危険な状態に陥ったが、その時にはすでに回復していた。
こうして、侑香さんの長かった治療は終わった。
引用元:
生存限界前の妊娠16週で破水!人工羊水注入で実現した「奇跡の出産」(現代ビジネス)