この春、 医師や看護師、日本ダウン症協会や全国心臓病の子どもを守る会で活動する母親、ライター、ファイナンシャルプランナーなどをメンバーとするNPO法人「親子の未来を支える会」が、「胎児ホットライン」開設を目指して説明会を開いた。


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「胎児ホットライン」は超音波検査、染色体異常の検査などで妊娠中の赤ちゃんに先天性疾患が見つかった人が、病気や生まれてきたときの暮らしについて正しく知り、多様なバックグラウンドを持つ第三者たちとネット上のチャットでかかわりながら、自分なりの道を歩む過程をサポートする。現段階ではボランティア・ベースの自主的な活動で、妊娠を継続することを選んだ人も、産むことを断念する人もともに中立的な立場からの支援を目指す。

ポイントは「治療」という視点
このような、検査を受ける人を支援する市民活動は、国内でほかに類をみない。会が出生前診断を大事にしている理由は何なのか? ポイントは「治療」という視点だ。

会の代表理事を務めるのは、東京大学理学部と千葉大学医学部で学んだ後、中国・イギリス・スペイン・ベルギー・アメリカなど世界各地で「胎児医療」を学んで帰国したばかりの産婦人科医・林伸彦さんだ。胎児医療とは、胎児を医療の対象としてとらえ、可能な胎児治療があれば親に十分な情報を提供したうえで実施する先進的な医療のことだ。日本ではまだ治療できる病気が少ないが、林さんが学んだ国では、胎児期に脊髄や脊椎の癒合不全を生じた「二分脊椎」の手術など、日本にはない胎児手術もあった。

林さんは、まだ30代前半の若い医師であり、これからの医師人生のどこかできっと胎児医療は開花するだろう。産科医療に携われば、絶えず直面するのが、お腹の中で亡くなってしまったり、治療をしても重い障害が残るとわかる状態で生まれてきたりするケースだ。おなかの中で症状が進行する前に、診断をして、治療ができたら、その子の命を救ったり、障害をより軽くしたりできるかもしれない。

「出生前診断の是非を問う議論とは別に、検査によって救われる命がある、という事実があります。それならば、検査が悪いと言うのではなく、どうしたら正しい形で検査ができるのかを考えるという方向に行くべきではありませんか?」

林さんが、そんな思いを、住んでいた隣人交流型賃貸マンションの居住者交流会で隣人たちに語ったのは2013年のことだ。これを聞いて、今、会の副理事長を務めるシステムエンジニアの佐野仁啓さんが「ネット上に、胎児疾患を告知された人とその病気のある子を育てている親とのマッチング・システムを構築してはどうか」と協力を申し出たのが、活動の始まりだった。当時は結婚もしていなかったのに佐野さんがそう言い出したのは「他人事ではない」と思ったからだという。

「僕もいつか子どもを持つかもしれない」
「僕もいつか子どもを持つかもしれない。そのとき、検査について相談できる人もいないし正しい情報も得られないとしたら不安じゃないですか」

会は現在、クラウドファンディングなどで資金をつのり、イギリスのチャリティ団体で出生前診断により病気を告知された人専門の相談機関「ARC(出生前の結果と選択)」が出している冊子の日本語版を出すことにも取り組んでいる。

筆者には、この活動は、これから子どもを産み、近未来社会を生きていく世代が、国や既存の組織が変わるのを待ちきれず自ら動き出し、自分たちに必要なものを作り始めたように見えた。


林さんが3年半学んだイギリスでは、来所でもチャットでも相談できる「ARC(出生前の結果と選択)」に年間約7000人もの妊婦が相談している。写真は妊娠を継続した人のための冊子、産むことを諦めた人のための冊子、そして父親、きょうだい、祖父母のための冊子、次の妊娠に踏み出すための冊子(筆者撮影)
イギリスでは、出生前診断は情報の提供、受けるかどうかの意思決定と希望した人への検査の実施、病気があった場合の相談窓口など一連のサービスが国の母子保健行政の一環として、もしくはそれと連携して行われている。

翻って日本は、旧・優生保護法をめぐる訴訟に象徴されるように、戦後の優生政策がまだ清算されておらず、中絶につながりうる出生前診断はアンタッチャブルな領域である。母体保護法にも人工妊娠中絶の条件に、「胎児に異常があったから」という理由はどこにもない。胎児を調べる術が「心音の聴取」やお腹の上からの「触診」くらいしかなかった時代のまま、時を止めている状態だ。

一方、実際の現場では各種検査が事実上、自由に行われている。日本産科婦人科学会をはじめとする関連学会は出生前診断実施にあたっての条件を決めているものの、そこに法的効力はない。

学術団体による規制が非力なことがまざまざと示されたのは、血液検査だけでダウン症などを検出する「新型出生前検査」の非認可施設問題だ。安全で、かつ精度が高い、この新しい検査の注目度は非常に高かったため、まずは臨床研究として開始されることになった。そして厳しい基準を満たした施設のみが臨床試験に参加し、検査を行えるものとした。

意に介さない非認可施設が多数できた
ところが、結果的には、認定制度の存在など意に介さない非認可施設が多数できてしまった。現在、新型出生前検査の約半数はそうした施設で行われていると推測されている。これらの多くは、ネットで予約し、1回行って採血をすれば結果が郵送されるだけで相談の体制はない。

各学会も、現状でよいと思っているわけではない。今春、日本産科婦人科学会は、新型出生前診断の実施施設認定基準を緩和し、実施施設を増やすことで、非認可施設に流れる人を減らす新指針案を公開した。新案では、認定施設を「基幹施設」と「連携施設」にレベル分けして、連携施設は、今までいることが必須とされていた臨床遺伝専門医の存在を「原則とする」という表現にし、一定の研修を受けた産婦人科がいて、基幹施設と連携が取れていれば認めるとした。

これに対して、遺伝の専門家や小児科医、出生前診断の拡大を警戒する団体は異を唱える声明を次々に発表し、マスコミも警戒ムードだが、現場では、すでに新型出生前診断は、市場原理により、抑制できる段階ではないという声も高い。


臨床研究の結果をまとめた報告書(筆者撮影)
2013年、新型出生前診断の検査を臨床研究として日本で開始した「NIPTコンソーシアム」のスターティングメンバーの一人・佐村修さん(東京慈恵会医科大学産婦人科准教授)は5年前の検査開始当時をふり返って言う。

引用元:
出生前診断がもう抑制できる段階じゃない理由 砂の堤防はすぐ壊れたが一歩は踏み出せた(東洋経済オンライン)