男女平等を力強く推進し、「グローバルジェンダーギャップ」のランキングを短期間のうちに駆け上がったフランス。本連載「フランスに探る男女連携社会の作り方」は、フランスに男女の〈連携〉の在り方を学ぶ。

妊娠は病気じゃないんだから甘えるな

「おめでたですね」

医師が妊娠を告げるシーンで使われる、この定番の表現が私は苦手だ。私自身子どもが二人いて、彼らに恵まれたことは幸運だと思っている。が、そのための妊娠出産体験には、苦しい思い出が多いからだ。

私はフランスで妊娠、出産したが、妊娠中は不定愁訴の連続だった。始終うっすら吐き気のするつわりが数ヶ月続き、お腹が出始めると股関節神経痛に見舞われ、歩くたびに激痛が走った。

おまけに妊娠期間特有の糖代謝異常「妊娠糖尿病」も罹患していた。後期は胎動が激しく夜も熟睡できない。とにかく全身のどこかが常に、しんどかった。それでも胎児の成長は順調で、妊娠糖尿病以外は「正常な妊娠」の範疇だった。 

しんどいのは体だけではない。お腹の子に何かあっては、との不安から、転倒の危険がある階段の上り下りでは毎回緊張した。一度流産をしてからは、トイレに行くたびに出血が不安で肝を冷やした。

何かあったら傷つくのは、私と胎児だけではない。子の誕生を待ち望む家族を横目に、責任感で泣きたい気持ちになったのは、一度や二度ではなかった。つくづく、私にとって妊娠は「めでたい」だけではなかったのだ。

妊娠中、そんなしんどさを祖母に漏らしたことがある。すると国際電話の向こうの祖母は、語気を強めてこう言った。

「妊娠は病気じゃないんだよ。大げさな子だねぇ。甘ったれたことを言って!」 

とっさに私は何も言い返せず、モゴモゴと言葉を濁して話を変えたように思う。その言葉の衝撃は強烈だった。そして衝撃が過ぎた後は、ひたすら悲しかった。この辛さが「甘ったれたこと」だって? 妊娠は病気じゃないなんて、誰が言ったの? 心も体もこんなにしんどいのに!

妊婦のしんどさを理解しているフランス社会

祖母の発言が衝撃だったのは、私がそれに慣れていないせいもあった。フランスでは、妊娠出産に伴う不調や辛さを訴えて、祖母のような対応をされたことは一度もなかった。いや、より正確を期すなら、前半は同じだったが、後半が正反対というくらい違った。

フランスでも「妊娠は病気ではない」の認識は一般的だ。しかしそのあとは「だから大変だね」と続く。最初の妊婦健診で産婦人科医に受けた説明から、バスや地下鉄の中、スーパーマーケットのレジ待ちの列に至るまで。

妊娠は病気じゃない。だが、いつ重大事になってもおかしくないリスクを伴い、不快な症状も治療できないものが多い。それらは無事出産が終わるまで、どうしようもないことだ。そりゃあ大変だね。なるべく負担は少ない方がいいね、と。

妊娠をめぐる制度面でも、同じ認識をいつも感じた。妊婦健診と分娩関連費は全額、国民医療保険の対象で、立て替え支払いもない。つまり、自己負担はゼロだ。

妊娠6ヶ月からは、妊娠に関係ない疾病の医療費も全額、医療保険でカバーされ、これもやはり自己負担はない。国内の出産施設の7割は保険適用範囲内の公立病院だ(公立は自己負担ゼロ。私立病院では、部屋代やエコーなど基本医療費以外の料金が追加されることがある)。

公立病院の部屋や食事は平均的な疾病入院と同様かなりシンプルだけれど、医療面や安全面で問題はなく、助産師の育児サポートもしっかりしている。

ちなみに出産の際の無痛分娩(硬膜外麻酔)は90年代から妊婦の全員の「産科医療の権利」となり、こちらも自己負担はゼロで選択可能だ。2016年の調査では、経膣分娩(お産全体の約8割)の79%が無痛分娩だった。

それらの医療費の公的負担に加えて、子ども一人当たり12万円ほどの出産祝い金が支給される。

そんな環境で妊娠出産を経る間、「しんどさが、社会に理解されている」と、私は感じていた。その上で妊婦の負担をできるだけ減らせるよう、制度が作られているのだと。

日本の社会は妊婦に冷たい?

祖母の発言とフランスの環境を話すと、日本の知人たちはほぼ同じ反応をする。祖母の発言に関しては「まぁそうだろうね」「自分も言われた」。そしてフランスの社会や制度に関しては「羨ましい」だ。

「おばあちゃんならまだいいじゃん。私それ、自分の夫に言われたよ。産婦人科の待合室で、同伴した夫が堂々と座ってたりするしね」

「妊娠すると迷惑、ってあからさまに言う職場もあるよね。なんで今したんだ、とか責められたり。マタニティマークが嫌味だ特権だ、って言う人もいるんだよ」

「立て替え払いがないだけでも本当に羨ましい。出産の時は20万円くらい追加で払ったし、検診だって毎回5000円は飛ぶんだよ。ほら、妊娠は病気じゃないから」

日本の妊娠生活のしんどさを友人知人から聞くと、私はなんとも不思議な思いに駆られてしまう。彼女らの言うことはメディアでもよく目にしてきたし、都内在住の知人には、分娩費用だけで100万円近くかかった人もいる。

しかし一方で、漫画『コウノドリ』を愛読する私は、日本の周産期医療が世界トップレベルだとも知っている。

祝膳や母乳マッサージのような周辺サービスも充実しているし(どちらもフランスにはない!)、医療関係者の対応の細やかさは、フランスの確かだけども大らかなケアを受けていた私の方が羨ましいくらいだ。補助金などの制度面でも、日本の妊娠出産支援は決して貧しいわけではない(後述)。

その一方で、一般社会の妊婦に対する認識や態度は厳しい。日本労働組合総連合会が2015年、妊娠出産を経験した働く女性1000人に行った調査では、5人に一人が職場で「不利益な取り扱いや嫌がらせを受けた」と答えている。「妊娠は病気じゃない、甘えるな」の反応は、時代錯誤の少数派ではない、目の前の現実だ。

フランスでは、社会風潮と医療・行政のあり方が「妊婦支援」で一致している。しかし日本ではそれが、完全に分裂してしまっている。医療・行政は妊婦をフォローしているのに、社会は妊婦を突き放す。どうしてこんな奇妙な事態になってしまったのだろう。

日本とフランスのこの違いは、一体、どこから来ているのだろうか。
妊娠は病気ではない、それで? 〜フランスの場合〜

世界トップレベルの周産期医療で妊婦をフォローしながら、妊婦に厳しい日本社会。その不思議現象の軸にいつもあるのが、「妊娠は病気ではない」という考え方だ。フランスもそれは同じだと前述したが、妊婦に対する社会の姿勢は全く違う。日本とは、何が異なっているのだろう。

「確かにフランスでも妊娠は、疾病とは定義されていません。しかし、密な経過観察の必要な『一時的に脆弱な状態』とされています。乳幼児と同じ分類ですね」

そう答えたのは、フランスの医療行政を司る保健省の担当者だ。

「妊婦の脆弱さが一番強く現れるのは、やはり健康面。なのでフランスの社会保障法典では、妊娠の「リスクと帰結に対し、医療関係諸費を国の社会保障制度が担う」と明記されています」

フランスは国民皆保険制度、かつ正当に滞在する外国人も受益者と扱うので、国内で妊娠した女性はほぼ全員が、同じ権利を持つことになる。「妊娠・出産を国の医療保険がカバーするべき理由も、多岐に渡っているのですよ」と前置きしつつ、担当者はフランス行政の妊娠出産に対する公式見解を、簡潔に教えてくれた。 
ー 周産期の母子には、重大な健康上のリスクがあり、それが医療で効果的に予防できる
ー 妊娠出産を予防的にケアすることは、医療経済的に効率が良い。
ー 生殖と妊娠に関して、女性たちの機会の平等には配慮が必要。それは新生児期から始まる子の医療ケアでも同様である。

「フランスは第二次大戦後、人口回復のために出生を増やしたいという国の強い意志がありました。妊娠出産をめぐる制度設計に、その意思が影響したことは大きいですね」

最初の妊婦支援は補助金の支給、いわゆる「現金給付」から始まった。しかしそれでは、居住地域や行ける施設によって、受けられる医療に格差が生まれてしまう。国内の女性に同じ権利を与えるためには、各地の医療環境を揃える必要があるのだ。

そのため80年代より、仏全土で分娩全般の医療化と環境整備が進められ、90年代に女性政治家シモーヌ・ヴェイユが保健相となった際には、無痛分娩を含めた妊娠出産の必須医療環境を無償で与える「現物給付」の形になった。

「金銭ではなく支援環境を与える「現物給付」は、インフラ整備の手間も時間もかかります。が、周産期の母子のリスクをできるだけ広く均一にカバーし、予防診療を行うためには必要と、政治的意思で進められました」

経験者として、フランスの医療環境、特に出産入院に関しては、快適度は日本より低いと感じる。しかし誰もが自己負担ゼロでアクセスできる範囲が広く、その質も揃っている点は、私にはとても安心だった。

特に妊娠中は疲労や不安が強く、「医療を選ぶ」という成人として当たり前の作業すら、負担になる時期だったから。医療費の立て替え払いが一切ない、ということも、なんだかんだとお金のかかる妊娠出産時期には、心の余裕に繋がっていた。
妊婦は弱い存在と、法律が定めている 

保健省の担当者と話しながら、一つの疑問が頭に残った。制度作りの考え方は分かった。しかしなぜ妊婦を「乳幼児と同じ、弱い存在」とし、その全員を医療保険に入れることができたのか。その点にモヤモヤが残ったのだ。 

健康リスクの中でも、妊娠出産は女性の体だけのものである。国民のもう半分である男性にはないものだ。しかもフランス政界はつい10年前までかなりの男性優位社会で、行政の意思決定機関は男性ばかりだった。なぜフランスの男性たちは、自分には一生来ないリスクを、そこまで重要視することができたのだろう。

それを問うと担当者はキョトン、とした顔をして「繰り返しますが、政治がそう望んだ、ということです。当時の保健大臣は女性でしたし」と答えた。いやそれは分かるが、と食い下がり、日本のマタハラの現状などを伝えた。すると担当者はようやく質問の意図を理解したようで、「法律です」と続けた。

「妊婦は社会的弱者で、国民みんなが守らねばならない。そう法律で決められていますから」

その一例に、日本の刑法に当たる「フランス刑法典」の434-3条がある。

ここで妊婦は、未成年・障害者・高齢者・病人と並び、『自らの身を守ることのできない者』と定められている。彼らへの虐待・侵害・暴行は法律違反で、それを知ったすべての人は、司法または行政当局へ通報しなければならない。通報義務を怠った人には、3年以下の禁固刑または45,000ユーロ(約560万円)以下の罰則付きだ。

また外見や性別、出自などによる差別を禁止する刑法第225-1条の中にも、妊娠が列挙されている。加えて、雇用主に妊娠を理由にした不当な扱いを禁じ母体保護を命じる労働法と、医療費を社会保険でカバーする社会保障法が整備されている。

フランスの「妊娠は病気ではない」に続く「だから大変だね」の社会的な認識は、「妊婦」の法的な定義を基盤に培われたものだ。男女の性別の違いや、その妊娠が順調かどうかは関係ない。「妊娠している」という事実だけで、未成年や障害者、高齢者と同じ、社会の中の「守るべき弱者」となる。それゆえに国の医療保険に取り込むのが当然、という論理だ。
妊娠は病気ではない、それで? 〜日本の場合〜

一方の日本では、妊産婦の保護を母子保健法・労働基準法・男女雇用機会均等法の法律で定めている。が、フランスの刑法典のように、一般社会全体で妊産婦を「弱い、守られるべき存在」と定義する文章は、私が調べた限りでは見つかっていない(ご存知の読者がいらしたらぜひご教示ください)。

例えば、妊産婦と乳幼児の扱いを定める基本法「母子保健法」を見ても、「妊娠」と「弱さ」を結びつける記載はない。

第一条にある法律の目的には、「母性並びに乳児および幼児の健康保持および増進を図るため」。つまり妊婦とはもともと健康であることが前提で、この法律はそれを保持・増進するためにある、という認識だ。妊婦を「脆弱」とするフランスとの違いは、大きい。

もう一つ象徴的な例に、妊婦向けに健診を促す厚労省の「妊婦健診を受けましょう」という小冊子がある。

そのQ&Aの一つ目、妊婦側の質問はこうだ。「そもそも、なぜ妊婦健診を受ける必要があるのかしら。妊娠は病気じゃないのに…」。それに対する回答は「妊婦健診は、妊婦さんや赤ちゃんの健康状態を定期的に確認するために行うものです」と、妊婦の脆弱性には触れていない。フランスのように「病気じゃないけど普段より弱い状態なので、観察が必要です」ではなく、ただ「健康状態を確認しましょう」と言っている。

日本の法律や公的な資料では、妊婦は基本的に「健康である」とのスタンスがある。妊娠出産は問題なく正常に進むのがデフォルトで、その間の様々な体調不良は基本的に、妊婦が「不快」と感じる主観的な症状という扱いだ。

二本立ての支援システム

日本で「妊婦は健康である」という前提が浸透していることは、補助制度にも現れている。

前述の通り、フランスがすべての妊婦を脆弱な存在であると考え、医療の「現物給付」を行っている(医療保険の対象としている)のに対し、日本では妊婦は「健康(正常)」であることをデフォルトとし、そこに「異常」が発生した時だけ医療を「現物給付」(つまり、医療保険を適用)しよう、という原則だ。 

しかし実際、妊婦の体は完全な健康体ではない。妊娠出産が女性の体に及ぼす影響は国が変わろうと同じで、世界のどこでも、医療者の観察とケアが必要だ。「妊婦は健康である」との前提は、現実とは齟齬がある。

日本にも幸い、医療や行政の現場にはその齟齬を認識する人々がいて、「現物給付」以外の方法で妊婦を支援する制度が整えられてきた。

例えば経過観察の妊婦健診は医療保険対象外で、原則的に全額自己負担だが、補填制度がある。自治体が診療チケットを支給しており、提携医で受診し支払い時にそれを出せば、立て替え払いが必要なくなるシステムだ(自治体や施設によっては追加の自己負担もある)。

同じく「正常な」お産は医療保険の対象外だが、その費用を賄うために医療保険と同じ財源から、出産一時金(42万円)の給付がある(それを分娩施設が直接受け取る形にすれば、出産入院時の立て替え払いもない)。

どちらも現金(もしくはそれに類する診療券)を給付するシステムで、妊婦のデフォルトである「正常」で健康な人を、二本立てで支援している。

そして一度医学的に「異常」が発生すると、医療保険の対象内に取り込む仕組みだ。
「正常なお産」と「異常なお産」

「正常」と「異常」で妊娠の扱いが変わるこのシステムは、日本の医療現場ではどのように機能しているのだろう。

「産婦人科医が、一つ一つの医療行為について、これは私費、これは保険適応の医療行為と判断しています。すべて保険適応になったほうが、現場は助かりますね」

都内のある産婦人科医はそう答える。

そもそも日本では、なぜ最初から、あらゆる妊娠出産を医療保険の対象としなかったのか。どうして「正常」と「異常」で、保険適用にする・しないと分ける制度になったのか。単純な疑問を抱くのは、私だけではないだろう。フランスのような例を知ると、なおのこと。

産科医療の歴史を説く資料類には、その理由が明記されている。日本の妊産婦は医学的見地から「正常」と「異常」の二種類に区別され、まずその区別ありきで、現状の制度が整えられて来たとのことだ。

歴史上、出産は自宅で、産婆など女性たちの助け合いで行われてきた。安産なら万々歳だが、異常があれば母子の生死に直結する。その救命に医師が迅速に介入するため、出産を自宅外の施設で行うようになったのは、第二次大戦後のこと。

例えば昭和25年当時は、妊産婦の250人に一人が死亡していた。現在でも「妊産婦の死に直結するリスク」は250分の一とほぼ同じだが、周産期医療によってそのうちの99%が救命されている。産科医療は「異常なお産」のために発展したものなのだ。

「正常なお産」の方は明治以降、資格化・医療技能化が進められ、現在は主に助産師という医療職が担っている。が、助産師が扱う「正常なお産」は、医療保険の対象ではないとされてきた。なぜなら、医師が介入しないから。

そこで用いられたのが「医師の必要ない正常なお産は、健康な自然現象である」との見解だ。同じ妊娠出産という現象でも、医学的に「正常」か「異常」かで、制度上の括りが大きく変わる理由はここにあるのだ。

日本でも、全ての妊娠出産を区別せず、ひっくるめて医療保険対象とする議論は、過去にも何度もなされてきた。しかしその度に叶わず、現在の仕組みに至っている。その歴史や経緯の報告・研究はいくつもあり、無料で読めるものとしては大西香世氏の論考が分かりやすい。ご興味のある方には是非、ご一読を勧めたい。

命に関わらなければ「正常」なのか

医学的な見地で「正常なお産」と「異常なお産」を分け、フォローの枠組みが変わる日本の線引きは、一見とてもクリアだ。そして現在ではそのどちらにも、支援制度がある。

しかし、実際に妊娠出産を経験したものとしては、この「医学的に正常か、異常か」の線引き自体に、どうしても、苦々しい思いを抱いてしまう。

前述した通り、「医学的に正常」であっても、妊娠は女性にとってしんどいものだ。妊娠前には軽傷で済んだ感染症や転倒が引き金で、胎児死亡や母体の大出血に繋がる可能性は、どんな妊娠にもある。妊娠はそれ自体が、命に関わるハイリスクへの入り口なのだ。「異常」が起きていないときですら。

そして医学的見地ではなく、女性の体を人生全体から俯瞰するなら、妊娠出産こそ「異常期間」と私は思う。これは妊娠出産を経験した人なら、多く賛同してもらえる実感だろう。

妊娠中の9ヶ月間の体はあなたにとって「正常」でしたか「異常」でしたか? 「健康」でしたか「弱って」いましたか? そう問われて、迷わず「正常」「健康」と答えられる女性は、一体どれだけいるだろう。実際、月に一度の定期検診が必要なくらい、妊娠中の女性の体はそれまでとは違うのだ。

そしてこの「正常」と「異常」で妊娠を分ける観点こそが、日本社会の妊婦への無理解・不寛容と繋がっているように、私は感じてしまう。「正常な妊娠」が医者の介入の必要ない、医療保険の対象にもならないものなら、配慮の必要はないだろう。「甘ったれたことを言うな」という風に。

しかも妊娠出産に関係ない人々は、その冷たいスタンスを疑問に思うこともないのだ。彼らは国の制度が表すように、「妊娠は健康な自然現象」と思っている。だから配慮する理由も必要も感じない。異常じゃなければ正常、それが妊娠なのだから、と。
社会から妊娠のしんどさを減らすには

妊娠はしんどい、でも社会はそれを理解しない。そんな状況では、少子高齢化も致し方ないように思えてしまう。しかしそれを放置しては、日本は先細りの一方だ。この状況を変えて行くには、どうすればいいだろう。

一番のキモは、「妊娠は病気ではない」に続く、「だから健康だ」との固定観念を変えて行くことだと、私は思う。そしてその方策を思案すると、「男女連携」というこの連載のテーマに思い至る。

「妊婦の苦しさを理解しない社会」の半分は男性で構成されており、その社会の仕組みを作る意思決定層の大多数も、男性だ。そして現時点で、彼ら男性の子をしんどい思いで妊娠出産するのは、男性自身ではない。それができるのは女性だけだ。 

「妊娠はしんどいのだ。妊娠しているだけで、女性の体はいつもより弱くなり、正常な状態ではないのだ」。全世界共通の妊婦のリアルをまず、日本社会全体が認める。それを受けて意思決定現場で男女が連携し、妊婦の脆弱性を、あらゆる場面に反映していく。

法律や制度の変更に時間と労力がかかるなら、まずは妊婦を囲む一人一人の考え方から、変えていけないだろうか。産婦人科の待合室で席を立つ男性が一人増えれば、そこに座ってしんどさを軽減できる妊婦も一人、増えるのだ。

フランスで妊婦を「守るべき、弱い存在」と法律で決定し、医療保険で全額負担する仕組みを作ったのも、男性多数の現場だった。文化も歴史も異なる国と同じやり方はできないが、その発想や考え方を「他山の石」とすることはできる。「妊娠は病気じゃない。甘ったれるな」の呪いに傷ついた一人として、私はその変化を、切実に願っている。


引用元:
「妊娠は病気じゃない」の意味、日本とフランスでこんなに違います(現代ビジネス)