小児がんで精子をつくれなくなった男性に対する治療法はなかった

性的に成熟する前のサルから採取・冷凍保存した精巣を使って、子どもを誕生させることに、米国の研究チームが初めて成功。研究成果が3月22日付けの学術誌「サイエンス」に発表された。

 今回の研究成果は、小児がん患者に希望をもたらしそうだ。

 抗がん剤治療や放射線治療では、副作用による精巣障害で精子をつくれなくなる可能性がある。成人男性なら、治療を始める前に精子を凍結するという選択肢もあるが、まだ精子の生産が始まっていない少年の場合にはこの方法は採れない。

 そこで今回の方法では、未成熟のアカゲサルから採取・冷凍保存しておいた精巣組織を、ふたたびサルの皮膚下に移植、成長させ、精子をつくらせることに成功。その精子を使った体外受精により、サルの赤ちゃんを誕生させたのだ。その赤ちゃんは、研究を行った個体にちなんで「グレイディ」と名付けられた。(参考記事:「解説:サルのクローン誕生、その意義と疑問点」)

 現在、小児がんの生存率は80%を超え、こうした不妊治療の必要性が高まっている。すでに世界中の病院で思春期前の男児の精巣組織が凍結されており、今回の論文の共著者で米ピッツバーグ大学医療センター、マギー婦人科研究所の上級研究員カイル・オーウィグ氏の推定によると、少なくとも1000人の患者が精巣組織を冷凍保存することを選択したという。

 冷凍保存した組織を用いる不妊治療法は、研究はあるものの患者に応用された例はない。今回のグレイディ誕生は、その状況を変えるかもしれない。「将来の臨床応用に向けた大きな一歩です」とベルギー、サン・リュック大学病院の婦人科・男性科部長クリスティーン・ウィンズ氏は話す。なお同氏は、今回の研究には関わっていない。

「精子を得て終了」ではなかった

 2002年に初めて報告されて以来、この治療法に関する研究は長年続けられてきた。その対象は、マウス、ブタ、ヤギ、ウサギ、イヌ、ネコ、ウマ、ウシなど多岐にわたる。これらの動物の未成熟の精巣組織を採取、マウスに皮下移植し、成熟させることで精子をつくらせることにも成功している。

 しかし、赤ちゃんが生きて誕生することはまれだった。精巣組織を同じ動物に再移植して成熟させた研究も、これまで数例しかない。また、こうした研究の大半は、組織を冷凍保存せずに行われた。将来、不妊治療に使うなら、冷凍保存での実験は不可欠だ。ほかにも、ヒトに近い動物であるサルに凍結組織を再移植する実験も行われてこなかった

今回の研究ではまず、5匹の成熟前のサルそれぞれから1つずつ精巣を採取し、小さく分割して冷凍保存し、サルが成熟するまで5〜7カ月待った。そうして成熟したサルからふたたび精巣を摘出後、摘出したばかりの精巣片と冷凍保存していた精巣片を、サルの皮膚下に移植した。

 目的は、組織を元の体に戻すことで、天然ホルモンにより成熟させることだとオーウィグ氏は言う。8〜12カ月後、移植した精巣組織39個の摘出に成功した。そのすべてが十分に成熟し、精子を作る能力があった。その後、摘出した移植片の大半から精子を採取できた。

「多くの研究者はここで、『我々は精子を得ることに成功した』と言って終わりにしてしまいます」とオーウィグ氏は話す。「しかし、ただ精子があるということと、受精したり赤ちゃんを作ったりできるということは、イコールではないのです」

そこで今回の研究では、米オレゴン国立霊長類研究センターの研究者たちが、得られた精子を使ってサルの卵子を体外受精させ、受精卵11個を成体のサル6匹に移植した。その結果、健康なメスの赤ちゃんが誕生した。グレイディである。(参考記事:「絶滅寸前のサイ、冷凍精子でハイブリッド胚を作成」)

「患者の人生の可能性を奪ってきたのです」

 非常に興味深い結果だが、人間に適用するには注意が必要だ。まず、この方法は例えば、精巣に悪性腫瘍ができるようながんの場合、適用できない。

 また、この方法で生まれた子どもへの後の影響についても、懸念が残る。グレイディの誕生から数カ月、その行動や成長は、今のところ正常だ。しかし、精子の染色体を詳細に調べ、遺伝子やその発現に意図せぬ影響が出ないことを確かめる必要がある、とウィンズ氏は強調する。(参考記事:「ヒトの精子のしっぽに謎のらせん構造、初の発見」)

「たとえ引き続きやるべきことがあるとしても、今日にも臨床応用できる技術だと、私ははっきりと確信しています」と、オーウィグ氏は話す。

 確かに今が臨床試験の時期なのかもしれないと、ドイツ、生殖医療・男性科センターのニーナ・ノイハウス氏とシュテファン・シュラット氏も同意する。二人は同じサイエンス誌に、今回の研究についての見解を示す論文を執筆した。体外受精の技術は人間の方が確立されているため、出生率はサルの実験よりも高くなる可能性が高い、と両氏は指摘する。

 個人的な見解で、この分野の全員が同じ意見なわけではないとしつつ、オーウィグ氏は話す。「適切な安全性と実現の可能性を実証した以上、できるだけ速く臨床段階に移行し、病院で待つ患者にこの治療法を届けることが、私たちの責任です」

 一方で、若い患者とその家族は、がん治療が将来の生殖能力に与える影響について話し合う必要がある、と同氏は強調する。そうすることなく、「私たちは、彼らが期待した人生の可能性を奪ってきたのです。これはなすべきことであり、がん患者やがんを克服した人と、その家族が本当に望んでいることだと、私は心の底から信じています


引用元:
凍結した精巣使い出産、サルで成功、不妊治療に光(ナショナル ジオグラフィック日本版)