がんの治療を進めると、子供をつくる機能が失われる恐れがある。「がん患者が子供を持つ」は無理なことなのか。がん患者の生殖医療に取り組む聖マリアンナ医科大学の鈴木直教授は「患者の命を優先するため『出産は諦めてください』と話すケースが少なくない」という。35歳で大腸がんと診断された女性ライターが聞いた――。(前編、全2回)/聞き手・構成=小泉なつみ

■大腸がんと診断されて知った「事実」

日本人の2人に1人ががんになる時代……だが、がん治療によって「妊孕(にんよう)性=子供を作る機能」が喪失する可能性があることを知っている人はどれくらいいるだろう。少なくとも4カ月前、35歳で大腸がんと診断された筆者はこの事実をまったく知らなかったため、治療の合間に情報収集や対応に奔走することになった。

医療技術の発展によってがんが克服可能な病となってきた今だからこそ、若きサバイバーたちの“その後の人生”をどう支援するかが重要な課題になっている。

そんな中、2012年に「日本がん・生殖医療学会」を立ち上げ、この問題にいち早く取り組んできたのが、聖マリアンナ医科大学の鈴木直教授だ。鈴木氏は日本で卵巣組織凍結をいち早く成功させた“妊孕性温存のエキスパート”であるが、あくまでも最優先は「がん治療」と語る。その真意と、若年層がんの今を聞いた。

■40歳未満では年間2万3000人が「がん」に

――将来子供を持つ可能性のある若年層のがん患者は増えているのでしょうか。

39歳以下のがん患者、いわゆる小児・AYAがんの統計が昨年初めて国立がん研究センターから発表されました。それによると、推計で年間約2万3000人の39歳以下が新たにがんに罹患しているとされています。昨年の夏以降、国がこの世代のがん患者さんの医療の充実に乗り出すことが明らかになり、やっと顕在化してきたと言えるでしょう。

またさまざまな関係者が尽力した結果、昨年3月、国の第3期がん対策推進基本計画の中に「小児がん、AYA世代(※)のがんに対する医療の充実」という文言が入りました。これにより、進学・就職・結婚・出産といったライフイベントが控える若年がん患者に対する、さまざまな支援が拡充していくことが期待されます。

※AYA世代とは、「Adolescent and Young Adult/思春期・若年成人」を指す

――私は大腸がんになるまで、「がん治療によって子供が作れなくなるかもしれない」ことを知りませんでした。自分の知識のなさに輪をかけて困ったのが、医療従事者から詳しい情報が得られなかったことです。医療機関や医師によって情報に幅があるのはなぜでしょうか。

妊孕性温存は、小児・AYA世代のQOL(生活の質/quality of life)を上げる大きな一要素です。にもかかわらず00年代の初頭まで、がん患者の生殖医療に関して医師たちの間に共通した指針や方針がありませんでした。がん治療の主治医と不妊治療を行う生殖医療医との連携もなかったため、妊孕性温存の機会を損失してしまうケースすらあったのです。そういった状況を打破し、患者さんに的確なタイミングで正しい情報を伝えたいという思いから、12年に「日本がん・生殖医療学会」を作りました。



■「がん」と診断されたら何をすべきか

17年には日本癌治療学会としてがんと生殖医療に関するガイドラインを作成し、医療従事者への周知を図っているところです。ただ若年層患者の多い乳腺科や婦人科とは対照的に、比較的高齢者の多い消化器科の先生などはガイドラインの存在すら知らないケースもあり、現段階では診療科によって認知度・活用度に差があると言わざるを得ません。

そんな中で大切なのは、がんと診断がついたと同時に、妊孕性温存の希望を医師に伝えることです。もし主治医が生殖医療に詳しくなかったら、日本がん・生殖医療学会に尋ねてください。現在がん患者さんの不妊治療ができるのは日本産科婦人科学会に承認された施設のみです。その地域で承認されている病院の情報をお伝えします。

――小児・AYA世代でがんを発症すると、誰でも必ず妊孕性に影響が出てしまうのでしょうか。

すべての抗がん剤治療や放射線治療が妊孕性を喪失させるわけではありませんが、治療内容や放射線の照射部位によっては、喪失してしまう場合があります。抗がん剤の投与は再発・転移予防のため開始時期に期限があります。治療で妊孕性喪失の可能性があり、温存を希望する場合には、多くの場合、がんの診断確定から1カ月ほどしか時間の猶予がありません。特に女性の場合、がん治療と並行しながら1カ月のうちに卵子や卵巣を手術で取って凍結させなければならず、肉体的・精神的な負担は大きい。

■あくまでも「がん治療が優先」

そしてもっとも重要かつ通常の不妊治療と大きく異なるのが、がん患者の妊孕性温存は、あくまでがん治療が優先されるということです。00年代初頭までは妊孕性温存を行う生殖医療者とがん治療医との連携が取れていませんでした。そのため、がん治療のスケジュールを考えることなく、患者さんのために、妊娠に必要な分だけ卵子を取ろうすることもあったかと思います。結果として、予定通りがん治療を開始できなくなってしまうケースが少なくなかったかもしれません。もちろん生殖医療者は、患者さんを思って行っています。がん治療医との連携が取れていなかったことに原因がありました。

一方のがん治療医はというと、40歳の乳がん患者に対し、がん治療の終わる5年後、つまり45歳になっても「閉経までまだ時間があるから妊娠は可能」と言う人もいました。これは、生殖医療の知識が、がん治療医に十分に浸透していなかったことの表れだと考えられます。

すべての女性に共通することとして、31歳になると女性の卵子は9割がた排卵されており、1割しか残っていません。さらに43歳になると、妊娠できたとしても8割以上が流産します。この事実を学校で教えていないことも問題ですが、女性自身も自分の妊娠のリミットを知らないし、医療関係者も正しく伝えることができていないんです。



■乳がん患者に伝えた「諦めてください」の真意

――では、女性がん患者の妊孕性温存でもっともネックになるのは年齢でしょうか。

がん患者さんの場合、年齢よりもまずがん治療までの時間の方が問題になります。

以前、35歳の乳がん患者さんが旦那さんと一緒に私のもとに来たことがありました。抗がん剤治療まであと2週間しかないタイミングで、月経周期的にも採卵するのが難しく、あともう4週間時間があれば受精卵の凍結ができるという状況でした。その時私は、「諦めてください」とお伝えしました。いくら技術的に妊孕性温存が可能だとしても、そのためにがん治療を遅延させることはあってはならないのです。

「赤ちゃんを作ることは私の権利。治療を遅らせて死んだとしても構わないのに、なぜ医者が止めるんだ」と言う人もいるもしれません。しかし対象は不妊患者ではなくあくまでがん患者であり、その方々の命を守ることが先決なのです。

――がん治療医のみならず、生殖医療の現場でもその方針が今では統一されているということですね。

そうです。また、産婦人科医は原則として子供の福祉を最優先に考えています。それは妊娠がゴールではなく、生まれてきた子供が両親のもとで元気に育っていくことを意味します。なので、生まれてくる子供にお母さんがいないことが前提となるような妊娠・出産をお手伝いすることはむずかしいと考えています。

■「やるせない気持ち」を受け止めて一緒に戦う

一方でがん治療に支障がない場合は、妊娠する可能性が低かったとしても、お手伝いします。以前、高校生でがんになった女の子の妊孕性温存をしたことがありましたが、採れた卵子は1個だけ。正直、将来の妊娠を確約できる数ではありません。しかし彼女はそのひとつの卵の写真を壁に貼って、つらい抗がん剤治療を将来の希望を持って立派に乗り越えていました。

また、5年生存率が10%以下という非常に厳しい状況にいる20代後半のがん患者さんの卵子凍結をしたこともあります。最悪の場合、温存した卵子が使えない可能性もあるわけです。ただ、このケースでは採卵ががん治療に影響を及ぼすこともなかったので、その方が希望を持ってがんと戦えるのであれば、卵子はあっていいはず。だから「諦めてください」と言わなければならない状況とは生存率でも妊娠率でもなく、がん治療を優先できない時、ということなんです。



■「誰でも産める」と誤解されては困る

私はがんと生殖医療に関してこれまでたくさんの取材を受けてきました。しかし残念なことにあるテレビ番組では、「がんになっても子供はできる」といった、“無責任な希望”を持たせる取り上げ方をされてしまいました。

繰り返しになりますが、がん患者さんが最優先すべきは妊孕性温存の治療ではなく、原疾患であるがん治療です。私もがんの医者として、患者の命を最優先します。それを、「誰でも産める」などと報じる記事や番組のせいで誤解されては困るのです。

私たち婦人科腫瘍医は、赤ちゃんが欲しい女性の望みをもっとも叶えてあげられない医者です。重い子宮筋肉種が見つかった14歳の女の子に、「子宮を取らなくちゃいけないから、将来お母さんになれないんだ」と伝えたこともあります。新婚旅行から帰ってきた妊婦さんに子宮頸がんが見つかって、中にいる赤ちゃんごと子宮を摘出せざるをえなかったこともあります。

非常にやるせないけれど、その気持ちを受け止めて一緒に闘うこと、そして正しい情報を広めていくことが私の役目。女優のアンジェリーナ・ジョリーさんは、乳がんと卵巣がんの予防的な手術を受けた際に、「Knowledge is power」(知識は力なり)と語りました。皆さんには、知識の大切さをぜひ心に留めておいていただきたいです。


引用元:
「がん患者が子供を産む」は無理なことか(ニコニコニュース)