十兆から100兆個にも及ぶ腸内細菌がすむ大腸。近年、この大腸の腸内細菌叢(ちょうないさいきんそう)が私たちの心や体の健康状態にまで大きな影響を与えることが分かってきている。ならば、赤ちゃんの健康を考えるときも、その子の腸内細菌叢を最良のものにしてあげたい――。これが親心では? これからお母さんになる人が、そのために心掛けるべきことは何か。胎児期から乳児、小児期の腸内環境に詳しい、東京女子医科大学小児科・主任教授の永田智さんに聞いた。

帝王切開や人工乳育児は赤ちゃんの腸内細菌叢によくないの?

――近年の研究結果をもとに、腸内細菌叢がその人の健康を左右するともいわれるようになりました。赤ちゃんの腸内細菌叢について考えるとき、心配なのは、出産の方法や育児のされ方によって、その子の腸内細菌の状態が異なってくる、という指摘があることです。赤ちゃんは、経膣分娩で産道をくぐり抜ける時や、母乳を介してお母さんの常在菌を受け取る、とされていますが、それは正しいのでしょうか。また、それがかなわなかった場合、赤ちゃんの腸内細菌叢はよくない状態になってしまうのでしょうか。

永田さん 確かに、これまでは、その考え方が主流でした。経膣分娩の赤ちゃんは、産道を降りてくる際に、まず母親の膣と肛門にいる細菌に出合います。そして、経膣分娩で生まれた新生児の胎便中の菌叢は、出産前の母親の膣内細菌叢と似ていることが多い。一方、帝王切開で生まれた子の腸内細菌叢にはビフィズス菌や乳酸菌が少ないという研究報告があります。また、母乳に含まれる特有のオリゴ糖は赤ちゃんの腸内でビフィズス菌を増やすとともに、母乳からはお母さんの常在菌を与えることができる、といったことから「経膣分娩や母乳育児が大切である」とされてきました。

 しかし、出産時に産道から、また授乳時に母乳から受け取るお母さんの常在菌は確かに赤ちゃんの腸内細菌叢を構成する供給源にはなるものの、赤ちゃんの腸内細菌叢を形づくる土台はもっと前、妊娠中のお母さんの腸内細菌叢の状態を反映している、という新たな考え方が出てきたのです。私はそちらの考え方を支持しています。

――詳しく教えてください。

永田さん 2年前に、「Science」という権威ある医学雑誌で、「お母さんの腸内細菌叢の情報はあらかじめ胎児期に伝えられている」という考え方が発表されました(Science;351, 1296-1302,2016)。

 結論を先に言うと、赤ちゃんの腸内細菌叢の「基本設計図」は、既に胎児期にお母さんから伝えられている可能性が高く、帝王切開か経膣分娩か、人工乳か母乳育児かといったことは、最終的に今までいわれていたほど大きな影響を与えないのではないか、と私は考えています。

お母さんから赤ちゃんに伝わる腸の情報とは?

――腸内細菌叢の設計図というのは、どういうものなのですか?

永田さん お母さんの腸内細菌叢が赤ちゃんに伝わるルートは、今のところ、大きく分けて3つあるとされています。

 1つ目が腸管から胎盤を介するルート、2つ目が口腔ルート、3つ目は膣ルートです。

 なかでも、母体の腸管から胎盤を介して伝わるルートが特に大きな役割を果たし、設計図のような形で赤ちゃんにお母さんの腸内細菌の情報が伝わるのではないかという説の確からしさが高いと私は考えています。

 下のイラストのように、母体の腸内細菌たちは、腸粘膜をくぐり抜けたり、なんらかの信号を送ることによって、母体の免疫細胞である「樹状細胞」に腸内細菌叢の情報を伝えます。すると、その情報を受け取った樹状細胞は胎盤へと到達し、胎児の樹状細胞や、同じく免疫細胞であるT細胞に、その情報を伝えるというのです。

 こうして、免疫細胞が得た情報(抗原情報)を胎児に伝える仕組みによって、赤ちゃんに、お母さんの腸管内にいる細菌たちに関する情報が受け渡されるのです。母体の常在菌が胎児の腸管内に侵入しても、あらかじめ赤ちゃんの腸は情報を得ていて、その菌が味方だと認識できるわけですから、「お母さんの腸内細菌だから、味方だよ」と分かり、その菌を排除しようと余計な戦いをしなくて済む。このように、赤ちゃんは病原体などの「本当の敵」とだけ戦う力を身に付けていくというわけです。

――設計図を受け取った後、赤ちゃんはどのように腸内細菌叢をつくっていくのですか?

永田さん 赤ちゃんは、胎児期にお母さんの腸内細菌の設計図を受け取り、生まれた後、この設計図をもとにして、体に入ってきた細菌を自分の腸内に組み込んでいきます。受け取った設計図は、いわば座席表のようなものと考えています。母体の常在菌とは異なる外来細菌がやって来ても、座席表に照らし合わせてみて、設計図にない菌であれば腸管内には定着しにくくなる、というシステムです(イラスト)。これによって、お母さんの腸内細菌叢と似通った腸内細菌叢が、赤ちゃんの腸に形成されていきます。

 経膣分娩や母乳育児で受け渡される細菌は結局、赤ちゃんの腸内細菌叢の設計図で、いる、いらないを振り分けられるので、さほど赤ちゃんに大きな影響を及ぼしているとは言い切れないのではないか、と考えています。つまり、産道や母乳から受け取る菌は腸内細菌叢の菌の供給源ではあるものの、メインを占めるものではない可能性もあるのです。

 だからこそ、妊娠前から腸内環境を整えておくことが、赤ちゃんに健康な設計図を与えることになると私は捉えています。

お母さんの口や膣からも常在菌の情報は伝わる

――「設計図が伝わる」というルート以外の二つのルートについても教えてください

永田さん まず、2つ目の「口腔ルート」とは、母体の口から、生きた菌が赤ちゃんに伝わるルートのこと。

 例えば、歯肉炎のあるお母さんの口腔内の細菌が、母体と胎児をつなぐ臍帯の「臍帯血」から検出された、という報告があります(※1)。胎盤内でこれらの細菌の数が過剰に増えると、死産の原因になることがあると指摘されているなど、お母さんの口の菌が赤ちゃんに影響を与えることが分かっています。

 3つ目が「膣ルート」。膣内の細菌が膣から子宮に上がっていき、羊水に取り込まれているということが報告されています(※2)。そのため、赤ちゃんが羊水を飲み込むことによって、母体の膣内細菌を体内に取り込んでいる可能性があります。この膣内細菌が羊水で過剰に増殖すると、「絨毛膜羊膜炎」という子宮内感染を起こして早産のリスクを高めます。早産の3分の2を占めるのが、この感染症といわれています。

 つまり、「口腔ルート」も「膣ルート」も、赤ちゃんの胎児期に影響を与える可能性がありますが、生後の腸内細菌叢にはそれほど大きな影響を与えていないのかもしれません。

 このように、私は、胎児の腸内細菌叢に最も大きな影響を与えているのは、腸管ルートだと考えています。その仕組みについてはこれからさらに詳細に明らかになっていくでしょう。

――乳がんの人の乳房にある常在菌を調べると、健康な人とは全く違う細菌叢が形成されていたという報告があるようです(※3)。赤ちゃんの腸内細菌叢の設計図づくりが行われる際に、母体が持つ病気の情報までもが伝わる、というリスクはないのですか。

永田さん こんな細菌がいるよ、という情報は運ぶかもしれません。しかし、がん細胞の遺伝子が運ばれるわけではありません。がん細胞に起こるような遺伝子変異は、胎盤で厳密にシャットアウトされます。また、「こんな細菌がいた」という情報をもとに将来的に子どもががんになる、という恐れも、ないといっていいでしょう。母体が感染性胃腸炎に感染したような場合でも、そういった感染症の原因菌が常在細菌よりも多くなるということはありませんし、その原因菌によって腸内細菌叢の設計図が変わる、ということもありません。

 ですから、感染症やがんといった病気の情報が菌を介して子どもに伝わり、子どもの健康に影響を与える、ということを心配することはありません。


引用元:
将来子どもを産むなら、今から「腸活」が必要な理由 帝王切開でも母乳が出なくても心配しなくていい! 大切なのはお母さんの腸活(日経ウーマンオンライン)