母親のイメージってどんなものだろう?
ピンクのもやがかかったような空間で、やさしげな微笑みを浮かべて赤ちゃんを抱っこしたり、大きなおなかをさすったり……。

もっぱら思い浮かぶのは、そんなシーンだ。そう、まさにマタニティマークに描かれた世界観。キーワードは、「幸せ」「癒し」「ほっこり」「ぬくもり」「甘い蜜月」……である。


一方で、私はこのようなほんわかした、とことん無毒化された世界観はどうもむず痒くて居心地が悪い。母親になったらガラッとスイッチが代わって、ピンクのもやの中に抵抗なく身を置けるようになるものなのだろうか。ああいったほっこりしたテイストのものが好きになるのだろうか。妊娠前からずっと疑問だったが、実際に妊娠してみてつくづく思った。

やっぱり「ほっこり」はムリ!

長年にわたって確立した自我や好みは実に堅牢なのである。

■母親向け界隈にはびこるキャラクター多用の謎
そういうわけで、妊娠がわかって、母子手帳をもらったとき、「キターーー……」と深〜いため息をついた。わが自治体の母子手帳の表紙には、ほのぼのとした家族のイラストが描かれていたからだ。その家族の絵は、私に向かって「ようこそ、ほっこりママの王国へ」と呼び掛けてくるかのようだった。

そして、自治体から案内された母親向けのサービスやイベントの案内パンフレットやチラシを見ると、ここにもなぜかほっこりイラストやキャラクターが多用されている。

しかし疑問だ。母子手帳を使うのも、チラシを読むのも、子どもではなく大人ではないのか? もちろん、子どもが成長すれば、母子手帳を子どもに渡したり、子どもが内容を読んだりすることもあるだろう。でもその頃には、子どもはキャラクターに喜ぶ年齢ではなくなっている。

こういうイラストは、誰向けなのだろう?
「妊娠したら、母性が芽生えて赤ちゃんと似たようなものが好きになるんでしょ?」とでも言いたいのか。いや、きっとこういうチラシを作る人たちはそこまで深く考えてはいないだろう。今まで「母親向け、親子向けはこういうもの」という固定観念があったから、それにのっとって粛々と仕事をしたに過ぎないはずだ。

しかし、その固定観念が問題なのである。
なぜ、母親になったとたん母親自身の個人の趣味をまるっと無視して子ども的な趣味に合わせなければいけないのか。もう一度言うが、大人向けのチラシや冊子なのである。なんだか母親の人格が無視されているし、「女子ども」はひとくくりにして、大人の社会から切り離すのが前提という考え方が根底にあるような気がするんだな。

■マタニティウェアは部屋着か新人女子アナ風
お腹が目立ち始めるとともに、マタニティウェアも探してみた。
さすがに、最近では妊娠しても働く女性が多いのか、昭和の時代のような部屋着風デザインのものは減ってきて、スカートやワンピース、ジーンズなど、それを着て電車に乗れそうな、会社の上司やクライアントにも会っても失礼にはならないデザインが増えてきている。

しかし、どうもテイストが限定的で、やけに新人女子アナ風の甘いデザインが多いように感じる。甘いのはちょっと苦手なんだよね……と思って別なテイストのものを探そうとすると、結局昭和の部屋着風、芸のないボーダーへどうぞとなる。

何なんだろう、このマタニティウェアの選べなさ。
そりゃ、考えてみればわかるのだ。少子化で妊娠する人は少なく、妊娠期間も短い。よって、着る人は少ない。そして、一時期しか着ないから、高いと誰も買わない。だから、多くの路線のデザインを少ロットで生産するより、最も多くの人が身に着けそうなデザインを比較的多く生産したほうが、採算がとれるのだろう。

欲しいデザインがないというのは、自分が高齢出産だからというのもある。首都圏では30代後半で第一子を生むことはさほど珍しくはないが、全国的に見れば確実に遅く、マイノリティだ。マタニティウェアが自分よりも若い世代に向けたテイストになってしまうのは仕方がない。

■母親はおしゃれするなってか?
しかし、マタニティウェアはまだいいのである。
がっくりくるのは、「ママコート」「マザーズバッグ」と呼ばれる、「ママ」という枕詞のついた母親向けのファッションアイテムだ。

年々おしゃれなものは増えてきているとはいえ、もっさりとしたテイストのものの比率がぐんと高くなる。よく目にするのは、安っぽい花柄や芸のない水玉模様、キャラクター、キルティング素材、投げやりにつけられたリボン。

確かにこういった「ママ」のつくアイテムは、小さい子どもを連れて歩くときには便利な機能がたくさんついていて、使い勝手がよい。しかし、身に着ければ、ダサいおばさんの一丁上がりである。

もっとましなものはないのか。第一子の妊娠中は基本的に暇なので、「なんとか、母親向けのおしゃれなアイテムを探してみよう」としつこくネットで検索してみた。すると、「おっ!」と思える通販サイトがあったのである。それは、海外マタニティのセレクトショップだった。

大人っぽいテイスト。エレガントさ。ひねりの利いたデザイン。そんな服をまとったモデルたちのきりっとしたいでたち。そうなんだよ。こういうものがほしかったんだ。

海外だって、若い母親はたくさんいるはずだ。それでも、私が目にした海外のものはエレガントで女っぷりがあがるものが多かった。つまり、それがその国で母親に求める像ということなのだろう。

そして、つくづく思った。日本のマタニティウェアの限定的なデザインや、「ママ」という枕詞のついたダサグッズからは、こんなメッセージが伝わってくるということを。

「妊娠したら会社はやめるから、部屋着で十分だよね」
「やめないの? かわいげのある女子社員なら、会社にいてもいいよ」
「子どもが生まれたら育児で忙しくなるし、身なりに構う時間なんてないよね」
「家事と育児をまじめにやるなら、汚れてもいい服、動きやすい服が一番」
「子ども産んだらモテは卒業でしょ」
「子どもができると住宅ローンや教育費にお金を使うから、無駄遣いできないよね」
「それでもおしゃれしたいって? なら、女どもがカワイーって喜びそうなリボンとかキャラクターでもつけとくか」

……こういうの、なんていうんだっけ。そうだ。「ダサピンク現象」だ!

そりゃ、子どもを生んだら「モテ」は必要じゃないかもしれない。身なりに構う時間もないし、カジュアルな格好のほうが合理的だし、子どもがいなかったころと比べてお金の使い方も変わる。

でも、第三者に「あなたはおしゃれは不要です」だなんて勝手に判断してほしくない!

女性がおしゃれするのは、必ずしもモテのためではないし、お金がなくたっておしゃれはしたい。おしゃれとはインテリアとともにその場を演出するものであり、なおかつ「私はこういう人間なんです」と外に向かってアピールするコミュニケーションツールなのだ。

いや、社交目的でなくても、おしゃれをすれば、心が明るくなる。現に、おしゃれや化粧が認知症の改善にも効果的だということも明らかになっている。つまり、おしゃれできないということは、その人から社会との接点や心の張りを奪うことを意味する。

そして、自分の身に着けるものが限定的な路線しか許されないということは、世間から「母親たるもの、こうあるべき」という決まった像を押し付けられるということなのである。

母親向けのチラシにキャラクターが多用されるのも、マタニティウェアが限定的なデザインなのも、「ママグッズ」が基本的にもっさりしているのも、どれも些細なことだ。

私自身も、こんなことを書いていながら、今はキャラクター入りのチラシにいちいちイライラなんてしていない。子どもの保育園からキャラクター入りのお便りをもらい続ければ、いやでも感覚が麻痺してくるし。

でも、妊娠当初に感じた違和感は忘れたくない。妊娠出産界隈のダサピンク現象は、母親が感じる息苦しさの原因のひとつであり、子育てしにくい国・日本の一面でもあると思うからだ。

引用元:
日本の妊娠出産界隈のダサピンク現象に思うこと(日刊アメーバニュース)