「あなたの子どもが産みたいの」そんな言葉から始まった、アラフォー夫婦の妊活奮闘記。

連載6回目の今回は、自身の妊活を綴った『俺たち妊活部〜「パパになりたい!」男101人の本音』が大好評の著者・村橋ゴローが“四十路初産の喜び、それ以上に大きかった高齢出産に向けての猛烈な不安”について語ります!



不妊治療の大敵、それは「妄信」「ぬか喜び」

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3年間の不妊治療で2度の流産をし、もはやこのトンネルに光は射さないのだと諦めかけた、通算4度目の体外受精を受けた2013年12月のことだった。結果を聞きにクリニックへ行った妻から、一通のメールが届いた。

「着床判定が出ました」。

僕は「おぉ!夢にまでみた結果が遂に出たか!」などと驚かなかった。というのも不妊治療において最初の着床判定は、正式な“妊娠”を意味しない。このあとのスケジュールをざっと書き出してみると、

(1)1回目の着床判定
「一年の計は元旦にあり」というが、この良き日に授かれたらこんなに幸せなことはない。しかし、もし流産に終わっていたら、そんなに残酷なことはない。前日の大晦日、「絶対に笑ってはいけない」と言われても笑えない状況のなか、期待が二割、不安が八割という感情を抱えながら二八蕎麦をすすった。

明けて午前中。未だ大晦日カウントダウンの喧騒と、元日の厳かな空気が入り混じった街を抜け、僕らはクリニックへ向かった。妻は先生との問診に行ってしまったため、僕はソファでひとり待つ。30分ほど待っただろうか、妻が待ち合いフロアに戻ってきた。

その合否を表情から読み解こうと、妻を凝視する。何と穏やかな顔だろうか。まるでマリア様だ。

「心拍確認できたって」

妻はマリア様同様、まさに性交することなく妊娠に至ったのだった。遂に、わが子を授かったのだ!



遂に妊娠!しかし妻が流した、「不安の涙」
妊活という物語を紡ぐ者にとって、「ご懐妊」という場面が出たら、もうすぐエンドロールが流れると思いがちだ。しかし現実は違うということを、直後、知ることとなる。

クリニックを出た僕らは、そこから30分ほど乗り継いだところにある、僕の実家に行こうとなった。もちろん、最高の報告をするためだ。その車中、僕と妻はあまり会話をしなかった。いや、できなかった。妊娠は、エンドロールなんかじゃない。

これから始まる十月十日の妊婦生活、そこに向かってのスタート地点にすぎないのだ。妻は四十で授かった。それは奇跡であり、裏を返せば、“高齢初産の流産”の可能性も高いという。無事、出産できるのか?

車中で、そのことにふたり、気づいてしまったのだ。

「ねえ、リアリティある?」

僕は尋ねた。

「そんなもん、あるわけないじゃない! アタシ、不安で不安で仕方ないわよ」

妻は涙をひとすじ流し、そう強く言った。

大きな幸せを手にした瞬間、人は次なる不安に襲われる。人生はその繰り返しだということを、僕らは初めて痛感した。

3年間という不妊治療に耐え、四十で懐妊。最高の幸せを手にした僕らは今度、四十一で初産という、新たな不安を迎えたのであった。

(2)2回目の着床判定

(3)胎嚢確認

(4)心拍確認(ここで正式に妊娠となる)

という4つもの関所が存在するのだ。

そのため、いちいち一喜一憂などしていられない。そのため、妻から「着床判定が出ました」と告げられたときの僕の本音は「騙されねえぞ」というものだった。だって、もう3年も子どもができずにいるんだから、“妄信”して裏切られるのが、怖かったのだ。

その後、2回目の着床判定、胎嚢確認と順調に合格。その都度、喜びを爆発させたいのに、裏切られるのが怖いから「どうせ次はダメでしょ」と喜びにフタをしようとする自分がいた。

「もうここまできたら、大丈夫だって!」

「いや、ぬか喜びに終わったらダメージでかいんだから!」

「いやいや、喜ぼうよ!」

「いやいやいや……」

そんな悶々とした感情を抱えながら、1月1日の元旦に心拍確認が行われることが決まった。決戦は元日。これにパスすれば、遂にわが子を授かれるのだ。

決戦は元日

引用元:
四十路妻、遂にご懐妊…!? 高齢初産に挑む妻が流した涙の意味とは(It Mama)