“子どもも親も幸せになる 発達障害の子の育て方”の著者の立石美津子の連載「もしかしてウチの子、障害児?」第13回目。
出生前診断の第1話では、わかる障害、わからない障害についてお話しました。今日は私が障害児の息子を産んだ実体験のお話しをします。
今から16年前、気軽に受けた検査
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今から17年前、私は不妊治療を受けていました。
妊娠が判明した段階で高齢出産だったのと「これから10ヶ月、悶々とした妊娠期間を過ごしたくない」という軽い気持ちで当時の検査方法のトリプルマーカーテストを受けました。
これは現在の新型出生前診断と異なり正確な結果はでず、染色体異常の胎児であるかどうかの確率がパーセンテージで示されるだけのものでした。
ここで高いパーセンテージだった場合、母体の子宮内の羊水に浮かんでいる胎児の細胞の染色体を調べる“羊水検査”に進むというものでした。
「ダウン症の可能性」が出てから羊水検査まで
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採血の結果「お腹の胎児はダウン症候群の確率が80%です」と診察室で言われました。
「折角、不妊治療して妊娠できたのに、何で……」と奈落の底に突き落とされました。足元がフラフラしてしまい、どうやって家に帰ったか覚えていません。
そして、医師から精密検査を受けるために大きな病院の紹介状をもらい、5日後に入院して羊水検査を受けました。
子宮に長い注射針を差し羊水を吸引する(羊水穿刺)ため、流産の危険がある検査でしたので、障害児でなくてもそこで子どもを失ってしまうリスクがありました。
それでも不安を払拭したい一心で臨みました。
決心するまでの長い1ヶ月
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さて、羊水検査をしたからといってその場で結果が出るわけではなく、当時は染色体を培養するために検査日の1ヶ月も先の20週にならないと結果は出ない状態でした。
日本では母体に危険が及ぶということで21週と6日までしか中絶は認められていません。ですから医師から「検査結果が出て1週間以内に産むか産まないか決めてください」と言われました。
20週と言えば妊娠5ヶ月で、胎動を感じている時期、結果が出るまで相当悩みました。
でも、よく考えてみたら悩むこと自体おかしなことだったのです。
はっきり言って「染色体異常の子どもだったら産みたくない」から検査を受けたのです。
どんな子どもでも育てる覚悟ならば最初からそんな検査受けなかった訳ですから、今更「産む、産まない」と悩むこと自体、矛盾していることでした。
医師からも「この検査を受けてから悩むあなたの態度はおかしい!」と厳しく注意されました。
結果は“異常なし”でした。
でも「障害児」だった
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でも、2歳になっても声を出さず、人に関心を全く示さない息子の異常に気付き、小児神経科を受診しました。そこで自閉症の診断を受けました。
でも、ここで「だったらこの子はいりません」とは言えませんでした。
あれから16年経ちました。私にとって息子の存在が生き甲斐です。
日々の嫌なことも、この子の存在があるからこそ乗り越えられます。
出生前診断で自閉症かどうかはわかりませんが、もしあの時、検査の結果“お腹の赤ちゃんに障害があります”と言われていたら「私はそのまま妊娠を継続していただろうか……」と想像しました。この子がいない人生を歩んでいたと思うと悲しくなります。
自分自身もこれから先の人生の中で精神疾患を患ったり、病気や事故にあうなどして障害者になるかもしれません。
たとえ健康な子どもが生まれたとしても、非行に走ったり、病気や事故にあって後天的に障害を持つなど人生には予期せぬことが起こります。でも、どんな状況になっても受け入れ子育てをするのが親なのです。
当時は「障害児を産み育てる」なんて人生設計図の中には全くありませんでした。怖くて不安が一杯でした。「障害児を持つと子どもも親も不幸になる。きっと子どもも産んでほしくなかったと言うかもしれない」とまで考えていました。
でも、実際、育ててみるとそんなことはありませんでした。今でも現在進行形で苦労は多いですが、喜びの方がずっと上回っています。
また、周りで価値ある楽しい人生を送っているダウン症の人達を見ていると、命の選択をしていいものかと今は思っています。
引用元:
「今から16年前、気軽に受けた検査で発覚…」出生前診断(It Mama)