医者にかかったとき、病状を口で説明するのが難しかったり、診察後に「先生は私がどんな気分か本当に分かってくれただろうか」などと思ったりしたことはないだろうか。

【画像】「老人を体験するVR」を作った3人

 特に歳をとってからの病気は若いときより症状が複雑化する上、心理的、社会的にも特有な問題をはらむといわれている。限られた診察時間内で、孫ほどの年齢の医者に、病状に加えてそれを取り巻く問題までを把握してもらうのは難しい。

 米国シカゴ州のEmbodied Labs(エンボディード・ラブス)は、こうした年配の患者と医者のギャップを埋めようと「We Are Alfred(ウィ・アー・アルフレッド)」を生み出した。

●VRを使って、患者本人に変身

 「ウィ・アー・アルフレッド」では、アルフレッドという名の74歳の男性の世界を、主観的に垣間見ることができる。簡単にいえば、老人に変身するということだ。これを可能にしたのは「VR」の技術。リープモーション・デバイスが組み込まれたオキュラスリフトDK2を用い、ユーザーには周囲360度のVRを提供、そこで自らの手を動かすこともできるようになっている。

 アルフレッドは加齢黄斑変性を患っている。これは年齢の上昇に伴い、網膜の中心にある黄斑に支障が出て、ものが見えにくくなる目の病気で、欧米人に多い。そしてお年寄りにありがちな難聴も患っている。ごく平均的な70代の米国人であるアルフレッドになって“見る”、生活とはどんなものなのだろうか。

●シニアの患者の気持ちを共有

 VRは、『お誕生日おめでとう』『夢想』『ワインをこぼす』『待合室で』『認知症の検査を受ける』『再診に訪れる』とそれぞれ題された場面で構成されている。どれもがごくありふれた生活の一こまだ。

 ごく一部を除き、ユーザーは終始、視界の中央に黒い大きなしみを目にすることになる。加齢黄斑変性が影響しているのだ。どの方向の何に目を向けても、黒いしみはつきまとう。見たいものがちゃんと見えず、アルフレッドが日常的に感じているじれったさを、ユーザーは共有する。

 また、『認知症の検査を受ける』では、耳が遠いアルフレッド=ユーザーは、検査にあたっての指示がよく聞こえない。医者は彼が難聴だということに気付かないまま、何をしたら良いか分からず困っているアルフレッドをよそに、認知症という判定を下す。アルフレッドのフラストレーションはユーザーのフラストレーションとなる。

 『お誕生日おめでとう』では、家族に誕生日を祝ってもらう。ケーキを前にしているが、加齢黄斑変性のせいで見えにくい。孫が「おじいちゃん、願い事をして」と言う。アルフレッドの「若い頃に戻りたい」という願いは、次の場面、『デイ・ドリーム(夢想)』で実現する。遮るものもなく、視界いっぱいに広がる花畑を愛で、花をつむ。風による木々のそよぎ、鳥のさえずりをはっきり耳にできる。高齢で視覚と聴覚に障がいを抱える身となった現在と、若く、健康で何不自由なく過ごしていた昔とのコントラストが明確になる。そして、ユーザーはその隔たりの大きさを思い知らされる。

●老人医療にとり大切な「感情」

 「ウィ・アー・アルフレッド」を開発したエンボディード・ラブスの発起人は、現在メディカル・イラストレーター、また医療科学の教育者として活躍するキャリー・ショーさんを中心とする4人。キャリーさんはイリノイ大学シカゴ校の修士課程で、バイオメディカル・ヴィジュアリゼーション(メディカル・イラストレーションにデジタル技術などを取り入れた学術)を学ぶ。どのような方法をとれば、視覚・聴覚障がいを患者本人の視点で他者に伝えられるかを研究していた2014年に、「ウィ・アー・アルフレッド」のアイデアを思い付き、翌年後半に最初のプロトタイプを創り出した。

 開発の背景には、キャリーさんの個人的な思いがある。早期発症型アルツハイマー病と診断された母親を、その気持ちを推し量りながら介護していたとき、「もし医療関係者が患者本人になってその世界を知ることができたら、医療はどんな風に行われるようになるだろうか」と考えたのだ。

 一方で、医師の大多数がエリートの白人系で占められているという米国国内の実情も、「ウィ・アー・アルフレッド」の開発を後押しした。正直いって、こうした医師が、高齢者をはじめとする社会的弱者のバックグラウンドを把握し、適切な治療を行うのはたやすいことではない。どんなに想像力を働かせても、また教科書で一生懸命勉強し、熱心に講義を受けても、患者になり代わらない限り、個人の詳細な病状、取り巻く環境などは分かり得ない。

 世界的に高齢化が急速に進む中、医師がシルバー層の身体的、精神的、社会的な特性を踏まえ、医療を施すのは重要なこと。「ウィ・アー・アルフレッド」は医師や医学生に、患者の立場になる機会を与え、その感情を察知させるのを助け、最終的には個々のお年寄りに添った治療を行うことを促す。

 アドバイザーを務めるエリック・スワースキー臨床学准教授は、「同プロジェクトにおけるテクノロジーの活用は、治癒に直接的に役立つ薬でも、治療法でもない。しかしVRを取り入れたこのツールを使えば、これから医師となり、患者に寄り添っていくことになる医学生は、年配者の感情を身をもって知り、理解できる。これは、老人医療の向上には不可欠だ」と言う。

 エンボディード・ラブスは次のプロジェクトとして、軽い認知障害、早期発症型アルツハイマー病を患う患者を設定。「ウィ・アー・アルフレッド」同様、VR上で医学生に、主観的に患者の生活を体験してもらうことを計画している。

引用元:
VRで74歳男性に「なって」みる――テクノロジーが広げる高齢者医療の世界(ITmedia PC USER)