東京都中央区の聖路加国際病院で、乳がん患者の脱毛などの悩みに第一線の美容師やネイリストが対処方法をアドバイスする「ビューティー・リング」という集いが、月1回開かれている。

 「抗がん剤の投与が始まる前になるべく短めの髪形にしましょう、と皆さんに勧めています。その方が髪が生えてくる時に『元の自分』に早く戻れ、ウイッグ(かつら)を脱ぎやすいからです」

 ボランティアで講師を務める美容師の上野修平(44)が、穏やかに語りかける。この日の参加者は30〜40歳代の女性3人。手術後でこれから抗がん剤治療を受ける人、既に脱毛しウイッグを着けている人、とさまざまだ。自己紹介のときに涙ぐむ人もおり、病気の深刻さ、髪を失うつらさがぴりぴりと伝わってくる。

 ■医師との出会い

 上野は、聖路加国際病院に近い築地で美容室「上松」を経営している。ビューティー・リングの活動は、同院で乳がん治療に当たる医師でブレストセンター長の山内英子(53)が、店の常連客だったことから生まれた。

 米国経験が長い山内は、日本の乳がん患者が病気を伏せて、悩みを抱え込む傾向を改善したいと考えていた。東日本大震災後、スタッフを率いて被災地でボランティア活動をする上野の姿勢や、その軽妙な話術を見込んで、「上松」が同じビルで営業する女性専用サロンに「乳がん患者が周囲の目を気にせず整髪できるスペースを作れないか」と相談した。

 上野は快諾。さらに2013年から始まったビューティー・リングを、専用サロン店長の工藤真知子(42)や、ネイリストの菅原ひとみ(35)らと一緒に、休日を利用して担ってきた。

 「山内先生が教えてくれた言葉に支えられたのかな」。上野が活動に深く関わるようになっていった心の動きを話す。震災被災地で髪をカットするボランティア活動を、現地の同業者から営業妨害と抗議され、落ち込んでいたときだった。

 ■マザー・テレサ

 「たまたまカットに来た山内先生に話したら、先生がiPad(アイパッド)で『人は不合理、非論理、利己的です。それでもなお、人を愛しなさい』というマザー・テレサが広めたという言葉を見せてくれたんです」

 評価されずとも、けなされても「あなたの中の最良のものを、世に与え続けなさい」と説く言葉が、そのときの自分に向けて言われているように響いた、と上野は話す。

 北海道旭川市生まれ。札幌の美容専門学校を卒業後、東京の有名サロンに就職。店の後輩の松田貴明(41)と2人で05年に「上松」を開店した。

 「独立前の5年くらい、仕事が終わると毎晩、松田と24時間営業のファミレスに行き、コーヒー一杯で新しい店の夢を話し合った。意見が一致したのが『お客さんと一生付き合える美容室。スタッフが一生働き続けることができる美容室』をつくることでした」

 ■自然体ボランティア

 創業時から美容業界では珍しく、週に2日が定休日。営業日も午後1〜2時の間は店を閉め、スタッフが決まった時間に昼食を取れるようにした。若い労働力を使い捨てるのではなく、終身雇用を前提に、福利厚生に力を注いできた。現在は上野、松田を含めスタイリスト7人、ネイリスト1人。経営は順調だ。

 「大事にしているのは、本業でお客さまに満足してもらい、おしゃれな美容室と認めてもらうこと。そのことを前提にした上で、ボランティア活動もやっている。実際にビューティー・リングに参加した患者さんがその後、店の顧客になったケースもあります。日常の延長で自然に取り組むのが、活動を続ける秘訣(ひけつ)だと思います」

 ビューティー・リングの会場では、実際にウイッグを使って選び方や付け方の指導が始まった。「きれいになでつけないでトップを持ち上げるのがコツ。思い切っておしゃれを楽しんでくださいね」。工藤が優しい声で話しかけながら患者の着けているウイッグを指でほぐすと、魔法のように自然な髪形に変わる。上野は自らモデルになり、派手な赤毛のウイッグを着けた。患者たちから「似合う」と笑いが起きる。会場の緊張感がほぐれ、雰囲気が劇的に柔らかくなった。

 ■はさみの音に涙

 上野は言う。「毛が抜けた後、初めて伸びた自分の髪を切りに来店し、はさみの音で涙ぐんだお客さんがいました。そんなときは、少しは立派な仕事をすることができているのかなと感じます」

 美容師になったのは、大学受験に失敗したのがきっかけだった。でも今は、この道を選んで良かったと思う。乳がん患者たちに渡す店のパンフレットには、上野の信念がこう記されている。

 「Beautyにはココロとカラダを元気にする力があります」(


引用元:
おしゃれで元気に 乳がん患者の美容支援/徳島(毎日新聞)