第2次世界大戦中に敦賀港(福井県敦賀市)に上陸したユダヤ難民を治療した産婦人科医院の看護師が、敦賀市内で存命であることが関係者の調査で分かった。同市の永井(旧姓鳥居)つねさん(92)で、治療した旅館やユダヤ人の様子も覚えており、「子どもを亡くし、かわいそうだった」と当時を振り返っているという。

 ユダヤ難民はナチスドイツの迫害を逃れ、外交官、故杉原千畝氏の"命のビザ”を手に、1940〜41年に敦賀港に上陸。当時の市民は空腹の難民にリンゴを配ったり、銭湯を開放するなどして温かく受け入れた。

 産婦人科医のエピソードは41年6月の新聞が掲載。船上で流産し子どもを失った妻が、敦賀上陸後に治療を受け、夫は取材に「医師のすばらしいのに驚いた。上手なドイツ語にラテン語さえ知っている知識の深さ」「予想もせぬ好意に満ちた日本の取り扱い。このおかげで妻は命拾いをした」と答えている。

 産婦人科医は2012年、港近くで医院を開いていた竹内隆良さん(1985年没)との情報が、調査していた日本海地誌調査研究会に竹内さんの息子で産婦人科医の桂一さん(82)から寄せられた。同会の会員がことし1月詳しく調べ、ドイツ語の話せる医師は当時少なかったことや、桂一さんが、隆良さんが電話でドイツ語のやりとりをする様子を見ていたことを確認した。

 永井さんは隆良さんの医院に2人いた看護師の1人。現在、市内の福祉施設に入所中で、ユダヤ人について話していることを知った桂一さんが先月、聞き取りを行った。

 ユダヤ人夫妻が滞在していたのは、現在の本町1丁目にあった「小林別館」で、流産の処置に必要な器具を消毒し、隆良さんの往診に同行。聞き取りに対し「流産した子どもも、子どもを亡くした夫婦もかわいそうだった」と話し、今も当時のことが胸に残っている様子だったという。

 「当時、外国人の患者は少なく、特別な体験だったのだろう」と桂一さん。永井さんは現在、体調が優れないといい、「話を聞けてよかった。歴史は残すつもりがないと必ず消えていく。一般の人も、かつて敦賀市民が難民を温かく迎えた歴史を知ってほしい」と話している。

引用元:
ユダヤ難民治療した看護師が判明 杉原千畝の命のビザで上陸後(福井新聞)