『病』から教わることはなんだろう?そう聞かれてあなたはすぐに答えることができますか?

『病』から、教わることがあるとしたら、それはなんだろうか?

一言に「病」といっても、それは純粋な病気かも知れないし、障害かもしれない。もしくは老いなんてこともあるだろう。そうした、一般的に「良くない」とされていることから、学べることとは 一体どのようなものか?

新潮社から出版される『考える人(2016年冬号−No.55)』に、病と共に生きる人たちのインタビューが数多く掲載されている。

その中で、子どもが死ぬ、あるいは重度の障害になる。そうした可能性に自分が直面してから、「それまで考えたことのないことを、考えるようになった」という明治大学院教授で、作家の高橋源一郎さんがこう答えている。

「ぼくたちには弱さが必要なんだ」
高橋さんが文化人類学者の辻信一さんと「弱さの研究」をやるようになったのは、次男が急性の小脳炎になってからだったという。
それまでは 高橋さん自身、口には出さなかったけれど、「できればそういう目にはあいたくない」と思っていたそうな。確かに、望んでなりたがる人もいないだろう。

その考え方が変わったのは、医者の「次男はおそらく重度の障害を持って生きることになるだろう」という告知のときだった。

高橋さんは動揺し、混乱したが、最後にはその全てを受け入れようと決心を決めた。すると、生涯で一度も味わったことのない大きな『喜び』を感じたのだという。

事実、高橋さんのライフワークに変化がおとずれていくこととなる。

高橋さんは、「自身の中で芽生えた感情の謎を解きたい」と思い、今まで自分の知らなかった場所に出かけては、これまでは会うことを考えたことのなかった人々と 会うようになった。そこで、人は弱さと共に生きるからこそ、強くなれるのだと感じたという。

筋肉が衰え、数年のうちに亡くなるという遺伝性の難病をもつ女の子を子にもつ両親にあったときのことだった。
その子の両親は、自然に、鼻にかけるような仕草もなく、あたかも、それが当然であるかのようにこういった。

いい人生です。私は感謝しています。素晴らしい子どもです。もし、彼女にあの運命が訪れなかったら、わたしはいまよりもずっと傲慢な人間だったでしょう。
彼女のおかげで、私はやっと他人の苦しみを理解できる人間になることができたのです
そう思えるまでに、多くの時間がかかったのは事実だろう。

「なぜ自分のこどもが」「そんなこどもは死んでしまえばいいのに」と、目の前の子の行く末を思いながら、自分の運命を呪いながらも、深い愛をそそぎこむと、子はたしかに『気づき』という名の愛を返してくれたのだ。

もちろん全ての人がそれを得れるわけではないかもしれない。けれど、それはたしかにある。だから、高橋さんは今日もいう。「ぼくたちには弱さが必要である」と。

【出典】

『考える人』新潮社2016年冬号(No.55)

引用元:
『病』から教わることがあるとしたら(imedi)