新しい命が生まれるそばで、流産や死産、新生児死などで赤ちゃんを亡くす人がいる。赤ちゃんとの思い出や亡くしてからの日々を語り、共有する活動が広がっている。
■母親たちに寄り添いたい 京都市の看護師、本多知央さん(31)は2年前に双子の健人(けんと)君と雄人(ゆうと)君を死産した。
妊娠に気づいたのは2013年の春。6年間働いた新生児集中治療室を離れ、産科と小児科の混合病棟で勤務を始めた頃だった。
結婚2年目を迎え、子どもがほしいと話していた矢先。双子と分かった晩は、夫婦で喜びあった。
「4月27日 初めての胎動。おなかがボコッと変形してびっくりしたけど、感動でした」。日々の双子の成長を記す2冊の母子手帳に、枠いっぱい文字をつづった。
しかし、出産予定日を数日後に控えた朝、2人の胎動は消えた。勤務先の病院で診察を受け「心拍が確認できない」と告げられた。先輩の助産師に抱きしめられるまで声も出なかった。
陣痛促進剤を点滴し、翌日に分娩(ぶんべん)。「産声は聞こえない」。そう思うと心まで痛かった。その日の夜から、双子を間に挟んで夫と川の字で寝たことが、家族4人のささやかな思い出だ。2人とも口元は本多さんに、目元は夫にそっくりだった。
火葬後、悲しみや不安、怒りが入り交じって押し寄せた。街を歩く妊婦やテレビに映る子どもを見るのがつらかった。夫や両親の前では元気な姿を見せようと努めたが、風呂場でおなかの妊娠線をみつめて泣いた。お産の現場への復職はあきらめようとも思った。
自宅で1人になると、インターネットで「死産」「双子」と検索。ブログなどでつづられている経験者の声を読みふけった。「私だけじゃない」と感じた。
意を決して参加したのが、赤ちゃんを亡くした人の交流会「空見上げての会」(京都市右京区)だ。死産の悲しみ、職場復帰への不安、家族には伝えきれなかった思いも話せた。
死産から2カ月後、勤務に復帰。最初は自分が使った分娩室に近づくだけで記憶がよみがえり、別室で隠れて泣いた。落ち着くまで月日はかかった。時折、自分と同じように赤ちゃんを亡くす母親たちがおり、気持ちは痛いほど伝わってきた。「私も亡くしました」と明かすこともある。その思いに耳を傾け、寄り添いたいと思うようになった。
10月末、「あかちゃんの死を考えるセミナー」で講演した本多さんは参加者に語りかけた。「悲しみは乗り越えるのでなく、抱えて生きるものだと知りました。私は2人を亡くした悲しみを、触れてはいけない話題にされることの方がつらい。あの子たちがいたからこそ、この日があるのだと思っています」
■各地で交流会 電話相談やネット掲示板も 「空見上げての会」は、京都市右京区の産婦人科、嵯峨嵐山・田中クリニックが2カ月に1度開いている。患者を対象に始めたが、今では関西一円から訪れる。
「あかちゃんの死を考えるセミナー」も主催。赤ちゃんを亡くした経験を持つ15人ほどが参加した。
大阪市の女性(32)は9月、出産直後に男の子を亡くした。「私も死にたいと感じた。前の生活に戻ろうと焦っているけれど、今の気持ちのままではとても働けない」と明かした。京都市の女性(32)は「死産の原因がわからない。わからなければ、次の妊娠にも進めない」と語った。
父親のグループでは「自分は何も出来ないという無力感があった」「悲しみのはけ口が見つからない」と話す人もいた。
田中啓一院長(66)は「多くのお産に立ち会うなかで、赤ちゃんを亡くした人たちの思いを癒やす場が必要だと感じた。遠方から訪れる人が増えるほど、こういう活動の場が広がっていってほしいと願う」
「流産・死産経験者で作るポコズママの会」は、2003年に千葉県の加藤咲都美さん(40)が、流産の経験をホームページで紹介したのを機に始まった。記録が残る05年4月以降、経験談が約2200件投稿され、閲覧数は約358万件にのぼる。亡くなった赤ちゃんに向けたメッセージは18万件を超えた。首都圏や大阪、福岡などで30人規模の交流会を開き、今年から少人数で交流する「ポコズカフェ」も始めた。
NPO法人「SIDS家族の会」(本部・東京)は、赤ちゃんを亡くした経験のある人に研修を行い、同じ経験を持つ人の話を聞く「ビフレンダー」を養成している。現在約70人が登録。今年7月までの1年間で計33回のミーティング(交流会)を全国で開いたという。
大阪府吹田市の常光円満寺は、ホームページ「お空の赤ちゃん相談所」を運営。体験が寄せられるほか、年間1千件以上の電話相談も受けているという。
引用元:
赤ちゃんの死、悲しみ抱え生きる 死産経験の看護師、お産の現場へ(朝日新聞)