今年7月、インターネットで不衛生な母乳が販売されていたとして、消費者庁や厚生労働省、日本小児科学会などが相次いで「感染症のリスクや衛生上のリスクがあり、安全性を確認することは容易ではない」「乳幼児の健康を害する恐れがある」などと注意を呼びかけた。ネット上では、母乳にこだわる風潮が母親が追い詰めているなどとする意見も相次ぐ。問題はどこにあるのか。(加納裕子)
米国では生活のために母乳販売「生活のため…まるでかつての売血」
「母乳のネット売買の問題が物議を醸している。搾乳や保管の状態が不明で、細菌の混入・繁殖の問題もあり、危険を伴う。HIV(エイズウイルス)、HTLV−1(ヒトT細胞白血病ウイルス)などの感染症の有無を調べているかどうかも問題だ」
8月1日、名古屋市の名古屋国際会議場で「日本母乳の会」(事務局・東京都中野区)が主催した「第24回母乳育児シンポジウム」。全国の医療関係者らを前に、同会の中野隆代表理事は険しい表情で語った。
インターネットでの母乳売買が問題になったのは、今年7月、母乳と称して母乳に粉ミルクを加えた可能性が高い商品がネットで販売され、栄養分が母乳の半分程度、細菌量が最大千倍含まれていたとの新聞報道がきっかけだ。報道の直後、厚生労働省が関係団体に注意喚起、消費者庁も消費者向けに注意を促した。日本母乳の会や日本小児科学会などもコメントを発表し、反響が続いている。
消費者庁によると、過去にインターネットで「母乳」と称した商品を販売されていた事実は確認できたものの、現在も販売されているかどうかは確認できなかったという。
ただ、英語のサイトには母乳の売買を仲介するものがあり「私は完全に健康」「私の子供たちのお肌はすべすべ」などとのコメントと共に、主に1オンス(約28グラム)につき1〜3ドル(120〜360円)で母乳が販売されている。米国ではこうした母乳に牛乳成分が混入されたり細菌に汚染されたりしている例が報告されている。
日本母乳の会の中野代表理事は「米国では生活のためにネットで販売する人がおり、高値で売れている。かつて日本にあった売血の問題によく似ている」と訴えた。
母親の苦悩「母乳で育てたいけれど出ない」
この問題について7月、タレントの北斗晶さん(48)が公式ブログに「出ないもんは出ないんだよ」「子を産んだお母さんたちが追い詰められてる結果にしか思えないよ」と書き込むと、母乳に悩む母親らから3千件近いコメントが寄せられた。
「挨拶のように『母乳?』って聞かれる」「みんな母乳出るならそれで育てたいはず。でも努力や、出したいって気持ちがいくら強くても、どうにもならないことがある」「必死で頑張って2週間しかでなかった」…。書き込まれたコメントには、追い詰められた母親の切実な思いがにじむ。
育児書の多くで、母乳で育てることが推奨されている。母乳は乳児が成長するために必要な栄養と免疫を含み、顔の筋肉やあごを発達させる。母親が授乳する際に分泌されるホルモンは母親の愛情を増幅させ、子宮の回復も促す。衛生的で費用もかからない−というのが主な理由だ。
ただ、子供を産んですぐに十分な母乳が出る人は少ない。分泌の鍵を握るとされるのは、出産後24時間以内の7回以上の授乳だ。だが、出産直後は子供を預かり母親を休ませる病院が多く、母子同室としていつでも授乳できる体制が整っている病院はそう多くはない。また、高齢出産や帝王切開などでは母乳が出にくい人の割合が高く、こうした出産も増えている。
日本では戦後、病院出産の増加や粉ミルクの開発を背景に母乳率が下がり、産後1カ月での母乳率が一時は31・7%まで落ち込んだ。その後は母乳の良さが見直され、22年には51・6%まで回復。厚生労働省が平成17年度に行った調査では、出産前に母乳育児を望んでいる母親の割合は96%にのぼる。
だが、実際に母乳だけで育てている母親はその半分以下で、産後1カ月の母親の約70%が「母乳が不足ぎみ」など何らかの悩みを抱えていた。理想と現実のギャップに、劣等感を抱く母親が少なくないことをうかがわせる。
追い詰めない配慮、それでも適切なサポートで出る人もいる
「母乳が赤ちゃんにとって最良の栄養であることはいうまでもありません。それでも母乳が足りないときや、何らかの理由で与えられない時には安心してお使いください」。粉ミルクを製造・販売する森永乳業(東京都港区)はそう訴えている。発展途上国では不衛生な水で作った粉ミルクによって命を落とす赤ちゃんがいるが、日本ではそうした懸念はほとんどない。
母乳が思うように出なくても、母親が育児に自信をなくさないようにと配慮をする病院もある。母乳育児を応援する「赤ちゃんにやさしい病院」として今年、UNICEF(国連児童基金)の認定を受けた国立病院機構福島病院(福島県須賀川市)では、母親に「母乳が100%勝ち組で、粉ミルクを使ったら負け組ということは絶対にない」とも説明しているという。
ただ、母親を追い詰めまいとするあまり、母乳で育てるための支援がおろそかになることを懸念する声もあがる。厚生労働省の平成22年乳幼児身体発育調査によると、3〜4カ月の母乳率は産後すぐよりも高く、母乳で育てたい母親の気持ちに寄り添って情報提供などを行う「ラ・レーチェ・リーグ日本」代表の森あさよさん(43)は「困難や不安を抱えたときも、適切な情報と支援があれば、多くの場合乗り越えられる。悩んだお母さんが適切な支援に出合えることこそが大切です」と訴える。
日本赤十字九州国際看護大学の吉永宗義教授(61)は「こういう問題が起こると、適切なサポートがあれば母乳が出るにもかかわらず、サポートがないために母乳が出ない人がいることが忘れられてしまう。母乳が一番だという原則をしっかりとした上で、どうしても母乳が出にくくつらい思いをする人には個別に対応することが大切だ」と話している。
引用元:
母乳のネット販売、「まるで売血」「不衛生」「HIV検査は…」と物議 背景に追い詰められた母親の姿も(産経ニュース)