「最も幼い妊婦さんは、小学校5年生でした」
「相談者のうち、20代が45%を占めていますが、10代も20%。職業別では、学生さんが26%と4人に1人、無職の方が36%です。最も幼い妊婦さんは、小学校5年生でした……」

会場が息を呑む。

「24時間体制で受け付けている相談のうち、内容の最多は『妊娠に関する相談』ですが、次に多いのは『思いがけない妊娠』で、3割に達しています。その内訳で最も多いのは『未婚の妊娠』、相手の男性が逃げてしまった、1人で育てる自信がない、というものです。次に多いのが『若年妊娠』――私たちは18歳以下の妊娠を、そう呼んでいます。『暴力・強姦』で子どもができてしまった、どうしよう、という相談もあります。レイプや近親(相姦)によって妊娠してしまい、全国から電話をかけてくる女性たちも、沢山います」(田尻さん)


「いらない子だったから」子どもを“遺棄した母親”へのバッシング

7月下旬、愛媛県で乳児と見られる5遺体が見つかった事件で、死体遺棄容疑で逮捕された30代の母親は、乳児を遺棄した理由について「いらない子だったから」という趣旨の供述をしているという(毎日新聞2015年7月21日報道より)。この事件はネットでも大きく報じられ、母親の大きなお腹について保健師が尋ねても、「太っているだけ」と答えたなど、「妊娠そのものを否定していた」とみられることが、多くの人々に衝撃を与えた。ネットでは「常人には理解不能」などの反応が相次ぎ、容疑者の母親を一方的に攻撃するようなコメントもあった。

だがこの事件、私は決して他人ごととは思えない。以前、水商売の女性たちを取材していた際、20歳前後で初産をした女の子がいた。彼女はごく普通の、コミュニケーション能力に長けた可愛らしい性格の子だったが、何気ない会話中にふと、「子ども、産まなければ良かった」と、漏らしたのである。彼女はおそらく、貧しかった。たとえ「母性本能」があったとしても、貧困や自身の生育環境から、「この子さえいなければ」と、思ってしまう母親はいるのではないか。母親の人格だけを責めればいい問題ではない。そんな思いが、ずっとくすぶっていた。


「赤ちゃんポスト」元関係者、女性たちの「妊娠前からのSOSに対応すべき」
こうした経験から、縁あって「赤ちゃんポスト」で有名な慈恵病院(熊本県)で、看護部長を務めていた田尻由貴子さん(※1) を取材させていただく機会が多い。今回は15年7月22日、アジア太平洋エリアから、助産師や看護師たちが集まる大規模なサミット(第11回ICMアジア太平洋地域会議・助産学術集会)で、彼女が講師を務めるというので参加してきた。



セミナーのパンフレット
[ ※左が、慈恵病院の田尻由貴子さんの講演案内 ]正午に開演する会場には、長蛇の列。アジアや太平洋地域から、多くの助産師さんが集まってきている。田尻さんの講演は英語で同時通訳された。セミナーの目的は、「日本でも未だに、虐待死の半数が『生まれたばかりの赤ちゃん』であること、危険で孤独な自宅出産や、飛び込み分娩がなくならない現実とその背景を知ってもらうこと」。そして、日々多くの妊婦と接する助産師さんたちに、「社会的に困窮した女性たちの妊娠」の心の中で、何が起こっているのかを知ってもらうことも重要な目的だ。分娩の専門知識をもった助産師たちといえども、「思いがけない妊娠」をした女性の、心のケアまでこなせている人は、意外に少ない。


※1 田尻さんは現在、慈恵病院の現場からは離れ、一般社団法人スタディライフ熊本特別顧問・慈恵病院の相談役を務めている。


日本では毎年「2000人」の赤ちゃんが「乳児院」に入所している

田尻さんの講演内容の前に、日本の社会的養護をめぐる状況を簡単に説明しよう。先進諸国と比べて、日本では親に恵まれない子どもたちが「施設」で育つ割合が圧倒的に高い。国連「子どもの権利条約」では、「全ての子どもは家庭環境の下で成長すべきである」と定め、日本もそれに賛同しているのだが、産みの親のもとで育つことのできない子ども4万人のうち、9割近くが「児童養護施設」などで暮らしている。毎年約2000人の乳幼児(0〜3歳まで)が、乳児院に入所しているのだ。

もちろん「児童養護施設」が一概に悪いともいえないし、日本の施設は(かつての東欧諸国などと比べれば)かなり整ってはいる。ただ、赤ちゃんの心身が最も発達する0〜3歳期に、「保護者との1対1の関係」が与えられないと、赤ちゃんの脳には著しい「発達の遅れ」が見られる……という研究は、社会的養護に関わる人たちの間では、常識になりつつある。「産みの親」でなくてもいいから、できるだけ早く、養子縁組や里親制度で、養育者との1対1の関係を築くことが、赤ちゃんの発達には不可欠なのだ。


思わぬ妊娠に悩む女性に対し、責めては絶対にダメ。

前置きが長くなった。田尻さんの講演が始まる。長年、「赤ちゃんポスト」に関わってきた具体例に富む彼女の話を聴き、中には、思わず涙を漏らす助産師さんもいた。現状では、「望まない妊娠」をした女性は、人工妊娠中絶を選ぶことが多い。産もうと決めた女性でも、相手の男性が逃げてしまったり、年齢の若さや経済的、心理的な事情から育てる自信がなかったりして、妊娠自体から目を背け、飛び込み分娩や自宅出産を選ぶケースも多くある。



講演する田尻由貴子さん田尻さんによると、こうした状況を受け、11年には厚労省が「妊娠期からの妊娠・出産・子育て等に係る相談体制等の整備について」という通達を出した。これがきっかけとなり、今では全国20以上の自治体で、医師会が助産師会などに委託し、「妊娠相談SOS」窓口を設置する動きが進んでいる(田尻さんに言わせれば、まだまだ「少ない」とのことではあるが……)。

ともあれ、全国に広がる「妊娠SOS窓口」の先駆けとして、若い女性たちの相談を受けてきたのが慈恵病院(熊本県)だ。14年度までの8年間で、慈恵病院に寄せられた9000件以上の相談のうち、熊本県からの相談はわずか17%。ほとんどが首都圏、大阪など、都市部からの相談だ。

冒頭で紹介したような現実に対し、まだまだ全国の「妊娠SOS」窓口は対応しきれていない。24時間体制で運営している自治体はほとんどなく、ネットで検索して、ようやく慈恵病院の電話相談にたどり着く女性が多いのだという。「絶対に、住んでいる場所や名前は言いたくない」と、匿名を固持しようとする女性も多い。背景には、これまで「誰にも打ち明けられなかった」「誰も気づいてくれなかった」という深い孤独がある。そんな女性たちも、粘り強くカウンセリングを行うことで、徐々に心を開いてくれるケースがあるそうだ。田尻さんたちが、話を聞く際に重視しているのは次のようなことである。

“(1)思わぬ妊娠に悩む女性に対し、責めては絶対にダメ。「どうしたの?」と聴くだけでも、傷ついてしまう女性たちは沢山いる。そんな女性たちにはまず、お腹の赤ちゃんと2人だけで、孤独を抱えながら相談してきてくれたことに対し、「よく相談してくれたね、ありがとう、頑張ったね」と声をかける。相手の話を傾聴する。

(2)その上で、悩みを聴き、共感し、親身になって寄り添う。そうしていると、最初は「誰も信じられない、受け入れてもらえないだろう」と頑なだった女性も、徐々に自分のことを詳しく話してくれるようになる。”

想定外の妊娠をしてしまい、「誰にも言えない」と孤独を深める、若い女性たち。田尻さんが関わったケースでは、ある女子大生が、当初は「自宅で1人で産みます。(家族や相手にバレたくないから)病院には絶対に行きたくない」と言っていたが、最終的には慈恵病院を通じて、育ててくれる親に赤ちゃんを託す「特別養子縁組」を選んだ、ということもあったそうだ。

彼女は最初、特別養子縁組という選択肢を知らなかった。もし、そのまま1人で産み、誰のサポートも受けずに育ててしたら……万が一の可能性だが、虐待等に繋がっていたかもしれない。「1人で産む」と言い張る彼女に対し、田尻さんたちは何度も話を聞いた。結果、その女子大生は「きちんと病院を受診し、特別養子縁組で命のバトンをつなぐ」ことを選んだという。

はじめは「産みたいけど、赤ちゃんポストに預けたい」「育てる自信がないから中絶したい」「養子に出したい」という葛藤の中にいた女性たちも、カウンセリングの中で、徐々に多様な選択肢があることを知る。その結果、「自分で育てよう」と決意する女性もいれば、特別養子縁組を選ぶケースもある。こうして救われた命は、9年間で600件近い(慈恵病院、平成19年度〜26年度の件数)。


人工妊娠中絶は年間約20万件、「手術はいつにしますか」淡々と進む医療現場

日本は「人工妊娠中絶」に寛容な国だ。厚労省のデータによれば、平成 25年度の人工妊娠中絶件数は 18万6253 件で、前年度に比べ5.3%減少したものの、毎年20万人近い命が「経済的事情」などの名目で失われている。「20 歳未満」の中絶では、「19歳」が6764件と最も多く、次いで「18歳」が4807件となっている。

「産む・産まないを女性が選ぶ自由」は、60年代後半以降のウーマン・リブが勝ち取ってきた、女性たちの「権利」だ。当時は男性の主権が今よりもずっと強く、「夫婦間で避妊を拒むことは、ほとんどできない」「ピルなど、女性主体の避妊手段がない」などの現実があったことは、何度強調しても足りない。が、今はまた少し、状況が変わってきている。

平均初婚年齢の上昇により、子どもをもちたいと「不妊治療」を続ける女性(男性)がいながら、「中絶」を選ぶ女性が年間20万人もいるという現実。田尻さんの後に登壇した、日本財団の特別養子縁組事業企画コーディネーター、赤尾さく美さん(助産師)は、次のように語った。

“助産師手として現場にいると、「中絶したい」という患者さんを前にして、「じゃあ(手術は)いつにしますか」と、カレンダーに目をやる癖がついてしまっていたんです。そういう医療関係者は、本当に多い。でも、もしかしたら中には「本当は産みたいけれど、どうすればいいか分からない、自信がない」という女性もいるかもしれない。

本来なら、保健室の先生から助産師、看護師、医師たちまで、医療に携わる人であれば全員が、「妊娠相談窓口」としての機能を果たすべきなんです。そうすれば、特別養子縁組や、里親制度の一時預かりなど、民間団体へと「命」をつなぐこともできます。”



セミナーに集まった海外の助産師たち。
撮影しているのは、みなとみらいのパシフィコ横浜前助産師である彼女の言葉は、胸を打つ。そうなのだ。保健室の先生から医師まで、もっと多くの福祉関係者が「妊娠SOS窓口」としての知識をもっていれば、望まない妊娠による中絶や虐待、赤ちゃんの遺棄、貧困の連鎖は防げるかもしれない。理想論だろうか。しかし、「妊娠相談窓口」のリアルな現状と、カウンセリングの過程で孤独だった女性たちが安堵していく、救われていく様子について知れば知るほど、「思わぬ妊娠をした女性たちの声に耳を傾けること」の重要性が感じられてならない。

女性の人権と、子どもの生存権を守るには、そういう地道な積み重ねが必要ではないか。個人的なことではあるが、私はまだ、自分が子どもを産むことが想像できない。それでも、女性のリプロダクティブ・ヘルス・ライツ(性と生殖にかかわる全ての権利)と現場の声を届けていくことはできるし、そうすることに最近、使命を感じている。



引用元:
「赤ちゃんポスト」の慈恵病院「妊娠SOS窓口」がつないできた“命のバトン”〜(BLOGOS‎)