裸ん坊の赤ちゃんが、体重計に乗せられた。「あ、大きくなってる」。母親の顔がほころんだ。東京都港区の産婦人科「白金高輪海老根ウィメンズクリニック」で、先月下旬に行われた「新米ママクラス」。助産師の福山真優子さん(30)が優しく見守っていた。


 クリニックで母乳外来を担当する福山さんは、長男(3つ)を出産後、母乳で悩んだ。切迫早産の危険から、妊娠中は胸のマッサージができなかった。二〇一二年五月に、里帰り先の石川県七尾市の病院で生まれた長男は、体重二五〇〇グラムで小さめ。乳首をうまく吸えなかった。「吸ってくれないと母乳が出ない」。乳首を刺激するため、一日十回も搾乳した。


 「おしっことうんちが一定回数出ていれば、母乳は足りているから大丈夫」。日頃、新米ママにこう指導していた。それなのに自分は不安で、授乳のたびに長男の体重を測定。体重は思うように増えず、粉ミルクを足した。母乳育児を勧めてきた助産師としての誇りはズタズタ。「一日中おっぱいを出して、母乳を飲めない子どもと格闘していた。孤独だった」


 三週間後、都内に住む指導役だった助産師に泣きながら電話で相談した。「このままじゃ母乳で育てられない」。助産師は石川県まで来て、胸や背中をマッサージして吸わせ方も一緒に考えてくれた。一カ月ほどすると長男は徐々に強く吸えるようになり、母乳は安定して出るようになった。


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 「産んだら母乳は勝手に出ると思っていた。母乳育児には、ものすごい苦労が伴う」。こう話すのはクリニックの産婦人科医、海老根真由美さん(44)だ。


 海老根さんも長男(7つ)を出産後、母乳育児でつまずいた。産婦人科医といえども、母乳に関しては素人だと痛感した。「母乳で悩み傷ついた経験から、母親たちに寄り添いたい」。別の病院で一緒に働いたことのある福山さんに声をかけ、一三年六月に開業した。


 クリニックには、母乳で苦労した産婦人科医がもう一人いる。同年九月に第一子の長女(1つ)を産んだ医師(43)。高齢の帝王切開で母乳が出にくく、患者としてクリニックの母乳外来に通院していた。


 「産婦人科医院はお産で忙しく、母乳指導する余裕がないところが多い。短い入院中に母乳育児を軌道に乗せることは難しく、退院後こそ支援が必要だと気付いた」。一四年二月、クリニックの仲間に加わった。


 クリニックは土日祝日も含め毎日開いている。「助産師も医師も母乳で悩んだ経験から、いつでも誰でも駆け込める場所にしたいと思った」と海老根さん。働いている人や父親も参加できるように、妊婦向けの母親学級は日曜日に開催。妊娠中から、母乳が出る仕組みなどを教えている。


 産後の育児支援に力を入れるのは、もう一つ理由がある。海老根さんは以前、埼玉県内の大学病院に勤務し、切迫早産など緊急性の高いお産を担当した。だが退院後に赤ちゃんが虐待で亡くなったり、母親が虐待で逮捕されたりする事件を目の当たりにした。


 厚生労働省の調査でも、一三年までの十年間に虐待で死亡した子ども五百四十六人のうち、一歳未満が44%の二百四十人。生後一カ月未満は百十一人で、加害者の91%が実母だった。海老根さんは「核家族化で、一人で育児を背負いがちの母親たちを救っていきたい」と話す。

 (細川暁子)


引用元:
<母乳ストーリー> 母親の孤独(中日新聞)