◆衛生面に問題「搾取」批判も
母乳を売買する動きが米国で広がっている。母乳育児を政府が奨励していることも背景にあり、インターネットで母乳の売り買いを仲介するサイトや、母乳を扱う新興ビジネスなどが次々に誕生している。母乳を取引することには批判も根強いが、「乳児の知能発達に役立つ」などの見方に後押しされ、「商品化」が加速している。(ニューヨーク 越前谷知子)
◆原油より高価
「コロラドから400オンス(約11キロ)配送します」。そんなやりとりが繰り広げられているのは、母乳仲介の専門サイト。母乳を強調するため、サイト名もずばり「オンリー・ザ・ブレスト(乳房)」。登録者数は、のべ4万9000人に上り、月平均で2000人近くが新規登録する米国内でも屈指の人気サイトだ。
このサイトは、子供の月齢、菜食主義など食事の嗜好しこうなどに合わせて、きめ細かい品ぞろえを用意しているのが自慢。価格は人工乳よりも割高で、1オンス(約28グラム)当たり1〜3ドル(約120〜370円)が中心だ。こうして取引される母乳は「原油価格」より高いといわれ、いまや高額商品となっている。
サイトで「1オンス当たり2・5ドルで売ります」と呼びかけているアリッサ・ベイリーさんは、生後9週間の息子を一人で育てている。サイトを利用するのは「安定した収入を得たいから」。離婚した夫から3歳の娘の監護権を取り戻したいと考えており、「シングルマザーにはありがたい」と語る。
◆知能に影響?
仲介サイトよりもさらに本格的な「母乳ビジネス」も広がりつつある。オレゴン州にある「メドラック・ラボラトリー」は母乳を殺菌・販売する新興企業だ。同社のダグ・ホーキンスさんは、仲介サイトや無償の寄付だけでは「必要としているすべての乳児に母乳が行き渡らない」と語り、「供給をさらに増やすには、有償で集めるモデルが必要だ」と力説する。
カリフォルニア州の新興企業「プロラクタ・バイオサイエンス」は、母乳をベースにした栄養増強剤の開発を進めている。発売中の商品には、母乳成分のほかプロテインやミネラルなどが含まれ、早産児の発育を促すという。母乳成分をがん予防など成人向けに活用する研究も進められている。
なぜ米国ではここまで母乳がもてはやされるのか。仲介サイトなどを通じて母乳を購入する母親たちの主な理由は「母乳が出ない」などの切実な事情が目立つが、政府や小児科学会などが新生児致死率の低下や病気予防になると奨励していることも影響しているとみられている。さらに、「母乳で育てた子供は、30年後には知能、収入ともに高くなる」とする調査結果もあり、それが母乳育児の過熱に拍車をかけている。
テキサスA&M大学のジョン・ウォルフ准教授(女性学)は、「米国ではここ5〜7年で『完璧な母親』を求める傾向が強まり、母乳で育てないと罪悪感を感じさせる風潮がある」と分析する。ただ、母乳育児に熱い視線が集まる現状については、「健康上のメリットがあるのは確かだが、人工乳との差が強調されすぎている」と指摘する。
◆牛乳混入
こうした取引で扱われている母乳は「質」に問題があるとの指摘も出始めている。今年4月、ネット上で取引される母乳の1割に「牛乳が混入していた」とする小児科医による調査結果が発表された。母乳の調達方法などが明らかでない場合、病原菌混入の恐れなどもあるが、衛生管理の問題は一部の州を除けば野放しの状態に近く、米食品医薬品局(FDA)による規制も導入されていない。
仲介サイトや母乳ビジネスが広がることで、早産児など優先的に母乳を必要とする乳児への供給量が不足する恐れもある。全米にある母乳を提供する非営利団体の一つで、マサチューセッツ州で「母乳バンク」を運営するナオミ・バーヤンさん(57)は、「母乳提供者が稼げるようになれば、寄付を呼びかけても集まらない。これでは本当に必要なところに、きちんと行き届かなくなる可能性がある」と危惧する。
そもそも母乳を売買することが「搾取」につながるとする批判も米国内では根強い。メドラック・ラボラトリー社は昨年末、アフリカ系女性を対象に、米中西部ミシガン州デトロイトで母乳を買い取る事業を始めたが、猛反発を受けて撤退に追い込まれた。
米国では乳母として働かされていたという歴史もあるためか、アフリカ系女性の間では母乳教育が浸透していないために生まれた取り組みだった。しかし、母乳育児の普及活動を行う団体のキッダダ・グリーンさんは、「低所得者層を利用しようと狙う悪質な行為だ」と断じ、こう批判した。
「米国で、黒人女性の身体を『商品化』するということの歴史的な意味を理解していない」
米国の母乳育児 米国小児科学会は、生後6か月まで母乳のみでの育児を奨励し、1歳以上になるまで、離乳食と併用しながら母乳を与えることを推奨している。感染症の発症率を低下させるなどの効果があるとされ、早産児は免疫機能の強化などに役立つためだという。
母乳バンク 米国では100年以上前から医療機関や地域ごとの専門組織によって整備されてきた。母親が病気で母乳を与えられなかったり、十分母乳が出なかったりといったケースで母乳を提供する取り組みで、近年は中国、アフリカ諸国などにも広がりをみせている。
◆オバマケアも影響
米国で母乳に対する関心が高まる要因の一つが、オバマ政権の下で昨年1月に本格スタートした医療保険改革(オバマケア)だ。母乳が必要な1歳未満の乳児を育てる従業員に母乳を搾乳する時間と場所の提供を企業に義務付けたことが背景にある。
米IBMは今年9月から、出張中の女性従業員が、出張先から搾乳した母乳を配達するサービスの提供を始めることを明らかにした。スマートフォンのアプリで、宿泊先や日時を入力すると、冷凍保存する容器がホテルに届く仕組みだ。担当のバーバラ・ブリックマイヤー氏は「費用は問題ではない。優秀な女性従業員を会社にひきつけるためだ」と話す。
ただ、「搾乳」の対応が手厚いのは、米国では働く女性向けの育児支援策が立ち遅れているためでもある。米国の連邦法では「50人以上の企業」に求められている育児女性の休暇期間は3か月間だけだ。有給の育児休暇を企業側に課しているのは、カリフォルニア、ニュージャージー、ロードアイランドの3州しかない。
全米のほとんどの州では、多くの母親たちは、まだ授乳が必要な時期に職場復帰を余儀なくされているのが実情だ。
(2015年7月28日 読売新聞)
引用元:
原油より高価…「母乳の取引」米国で過熱 (ヨミドクター)