東京都内のメーカーに勤める女性(33)は胸が張ってくるのを感じ、トイレに駆け込んだ。手で母乳を搾り、トイレに流した。一回で約二十分。五十ミリリットルほどの母乳でトイレの水が白く染まると、悲しくて涙が出そうになった。


 トイレで搾乳したのは、社内にだれにも見られずに搾乳できる場所がなく、男性上司にも相談しにくかったから。


 四月に仕事復帰した時、一月に出産した長男はまだ二カ月だった。有期契約社員のため、同社の規定では育児休業が取れなかった。「育休が取れたら、息子に母乳をあげられたのに」


 交流サイト・フェイスブックに悩みを書き連ねた。会社関係者が偶然目にして、五月から医務室で搾乳できるよう環境を整えてくれた。今は、搾った母乳を会社の冷蔵庫で冷凍保存し、家に持ち帰る。


 仕事に復帰後、場所に困ってトイレで搾乳している女性が少なくない。母乳育児関連製品販売「メデラ」(東京都渋谷区)は昨年、子どもが一歳半未満で復帰した全国の母親五百十五人を調査。ほぼ半数の二百五十七人が母乳育児を継続しており、職場での搾乳経験者は七十七人。うち四十五人は場所に困って、トイレで搾っていた。


 同社は今年二月、会社移転を機に社内に搾乳室を設置した。鍵がかかり、電動の搾乳器やソファ、カーテン、冷凍庫などがある。社長に設置を提案したのは、仕事を続けるために断乳せざるをえなかった経験のあるマーケティング部長の菅谷さと子さん(36)だ。


 菅谷さんは長女(3つ)が生後十カ月の時に、今とは別の会社に仕事復帰した。出張が多く、搾乳しながら仕事を続けるのは難しかったため、断乳を決断した。母乳育児を応援する同社に転職後も、「もう少し長く母乳をあげたかった」との思いが残っていたという。


 次男(1つ)が生後五カ月だった昨年十月に入社した武田靖子さん(38)は一日二回、会社で三十分ずつかけて母乳を搾っている。冷凍保存して持ち帰り、半分を次男に飲ませ、残りは翌朝保育所に預ける。


 「搾乳室があるのも、保育所で母乳を預かってもらえるのもありがたい。離れていても子どもとつながっている気がする」と話す。


 女性の体の健康にとっても搾乳は必要だ。母乳がたまると胸がガチガチに硬くなり、熱が出たりする乳腺炎になりかねないからだ。


 滋賀医科大(大津市)も数年前に搾乳室をつくった。洗面所がある部屋に冷凍庫などの備品を設置。学内の保育所に授乳しにいくこともできるが、母乳を冷凍保存して持ち帰り、翌日保育所に預けるケースが多いという。設置前はトイレで搾乳していた医師がいたが、現在は三人の女性医師が搾乳室を利用している。


 「母乳育児と仕事の両立に悩んでいる人は多いと思う」。労働政策研究・研修機構(東京都練馬区)の副主任研究員で、労働法が専門の内藤忍(しの)さん(43)は話す。


 二〇一三年七月に長男(1つ)を出産した内藤さんは、産休明けの生後二カ月で復帰。機構には、四年前に設置された搾乳や授乳のための「マザーズルーム」があり、利用できた。


 搾乳が問題になるのは、保育所の待機児童問題が背景にある。低月齢の方が保育所に入りやすいため、仕事復帰が早まる傾向にあるためだ。内藤さんは「待機児童問題で育休を長く取ることが難しく、母乳育児のハードルが高まっている。一部の有期契約労働者には育休が認められていないのも問題だ」と指摘する。


 (細川暁子)


引用元:
<母乳ストーリー> トイレ搾乳(中日新聞)