基礎生物学研究所の伊神香菜子研究員(元総合研究大学院大学 大学院生)と吉田松生教授らの研究グループは、生涯にわたり精子を途絶えることなく作り続けている、精子幹細胞の分化を制御するメカニズムを明らかにしました。

 幹細胞注1は、生物を構成する組織や臓器の細胞を生み出し続けるおおもとの細胞です。そのためには、幹細胞は分化注2する細胞と、分化せずに幹細胞でありつづける細胞とをバランス良く作りだすことが大切です。多くの組織では「幹細胞ニッチ」注3と呼ばれる特殊な場所で幹細胞が維持されています。幹細胞ニッチには分化を防ぐ因子が局在し、ここにいる限り幹細胞は分化しません。一方、ニッチから出ると幹細胞は分化します。しかし哺乳類の精巣にはこのように明瞭な幹細胞ニッチの構造は見られず、分化する細胞と分化せずに幹細胞でありつづける細胞を決めるメカニズムは不明でした。

 本研究では精子幹細胞のなかに、分化を誘導する因子であるレチノイン酸注4に反応して分化する細胞と、レチノイン酸が来ても分化せずに幹細胞でありつづける細胞があることを見出しました。更に、この違いを生む遺伝子を同定しました。これは、幹細胞ニッチの構造が明確でない組織において、分化する細胞と幹細胞でありつづける細胞を決める仕組みを明らかにした初めての研究です。本研究成果は英国発生生物学専門誌Developmentに掲載されました。



【研究の背景】

 哺乳類の精巣では生涯にわたり精子が作られ続けます。これは、精子を作りだすおおもとの細胞である「精子幹細胞」の働きによるものです。精子幹細胞は未成熟な細胞であり、分裂して数を増やしながら成熟精子へと分化していきます。幹細胞が分化しなければ精子は作られませんが、一方で全ての幹細胞が分化してしまえば精子のもとがなくなってしまい、その後に続く精子産生が止まってしまします。このバランスのとれた分化は、生物の体を形づくる多くの組織の幹細胞に共通する性質です。

 研究の進んでいる哺乳類の腸や、ショウジョウバエの精子や卵などの幹細胞は、「幹細胞ニッチ」と呼ばれる特殊な場所に存在している様子が観察されています。分化を抑える因子が幹細胞ニッチに局在することで、ニッチの中に位置する細胞が幹細胞として残り、ニッチから離れると分化することが知られています。

 一方、哺乳類の精子幹細胞にははっきりした幹細胞ニッチ構造は見あたりません。精子幹細胞として働く2種類の細胞(GFRα1陽性細胞、Ngn3陽性細胞)と、分化した細胞(KIT陽性細胞)は、精巣の精細管の中でお互いに入り交じって観察されています(図1)。更に、これらの細胞は分化を引き起こす因子であるレチノイン酸(ビタミンAの代謝物)に一様に晒されているにも関わらず、全てが分化して幹細胞が尽きてしまうということはありません。このように、幹細胞ニッチがない哺乳類の精巣で、精子幹細胞のうち分化する細胞と分化せずに幹細胞でありつづける細胞がどのように決められるのか、これまで明らかとなっていませんでした。

【研究の成果】

本研究では、幹細胞が分化するかしないかの運命決定を司る新しいメカニズムを発見しました。

@幹細胞の中には、レチノイン酸に反応して分化する細胞と、レチノイン酸に反応しない細胞がある。

著者らはGFRα1陽性細胞とNgn3陽性細胞に、蛍光タンパク質(GFP)で目印をつけ、レチノイン酸がふりかかった後に目印をつけた細胞が分化するかどうかを調べました。その結果、Ngn3陽性細胞はレチノイン酸に反応して分化する一方で、GFRα1陽性細胞はレチノイン酸に反応せずに幹細胞でありつづけることがわかりました。

Aレチノイン酸に対する反応の違いは、レチノイン酸を受け取る受容体注5の遺伝子が働いているかいないかだけで決まる。

Ngn3陽性細胞とGFRα1陽性細胞のレチノイン酸に対する反応性の違いがなぜ起こるのか知るために、両者で働いている遺伝子を比較しました。その結果、レチノイン酸を受け取る受容体の遺伝子RarγがNgn3陽性細胞だけで働いていることがわかりました(図2)。さらに、RARγが働いていないGFRα1陽性細胞でRARγを強制的に働かせると、レチノイン酸に反応して分化できるようになることがわかりました(図3)。

 このように、精子幹細胞は一様な細胞ではなく、RARγが働いているためにレチノイン酸に反応して分化するNgn3陽性細胞と、RARγが働かないためにレチノイン酸がきても分化しないGFRα1陽性細胞からなることが分かりました。更に、GFRα1陽性細胞はレチノイン酸の有無に関係なくNgn3陽性細胞を生み出していることも明らかにしました。これらの性質が上手に組み合わさり、幹細胞が途絶えることなく精子形成は継続しているのです(図4)。

【本研究の意義と今後の展開】

 本研究では、明瞭な幹細胞ニッチがない精細管で幹細胞が長期にわたり精子を作り出すメカニズムの解明に挑戦しました。そして、幹細胞は「幹細胞ニッチによって分化するかしないかの運命が決定される」という従来の考え方とは異なる、「分化シグナルであるレチノイン酸への反応性を変えることで分化するかしないかを決める」という新しい仕組みを発見しました。

 これは、精子幹細胞のみならず、はっきりした幹細胞ニッチが見られない他の組織でも共通するメカニズムかもしれません。今後、多くの組織を比較することで、私たちの体が生涯にわたり機能し続けるために、生き物がどのような戦略をとっているのか理解が深まると期待されます。さらに本研究で得られた知見は、将来的に男性不妊の治療法の開発など医療面においても貢献できる可能性があります。



注1 幹細胞:組織を構成する分化(注2参照)した細胞を作り出す、おおもととなる未成熟な細胞。

分化細胞を生み続けることで組織の新陳代謝を担う。ここでは多能性幹細胞(iPS細胞など)とは異なり、特定の組織の細胞にしか分化しない細胞のことをいう。

注2 分化:未成熟な細胞がより特殊化した細胞に変わること。

注3 幹細胞ニッチ:幹細胞がその性質を維持するために必要とされる特別な場所。

注4 レチノイン酸:食物より摂取したビタミンAから代謝されて作られる生理活性物質。精子を生み出すにはレチノイン酸が必須なので、ビタミンAが欠乏したマウスの精巣では精子が作られない。

注5 受容体:細胞の外の分子や刺激を受け取り、細胞の中で情報として利用できるように変換するタンパク質。



引用元:
精子幹細胞が尽きることなく精子を作り続けるメカニズム〜分化する細胞としない細胞はどのようにして決まるのか?〜(基礎生物学研究所‎)