受精卵診断あるいは出生前診断を考えるとき、最も重要なことは「何人も両親やその家族に犠牲を強制することはできない」こと、さらに両親ら家族そして生まれ来る子の幸福、基本的人権を尊重し、破壊してはならないことにあると考えます。

私の幼なじみは、日常的な会話も困難なほど重い知的障害がありました。小さな頃は普通に遊んでいましたが、進級するにつれて「違う」ことを意識せざるを得なくなりました。彼は小学校の2年生頃から養護学級に移って一緒に学校に行けなくなり、会って話す機会もなくなりました。

社会人になってから、親御さんのご苦労に気付きました。ご近所には別の知的障害の方も居ました。彼はいつも家の窓から外を見ていましたが、ひっそり亡くなりました。幸いにも幼なじみは、理解ある近隣の人に見守られ支えられて40歳近くまで自宅で暮らしたようですが、先年ついに施設に入ったと聞きました。ご高齢の親御さんやそれぞれ家庭のあるご兄弟は、本当にほっとされたと思います。

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私の大学在学当時は男性助産「士」資格化の論議があり、両性が必要なリプロダクトヘルス(助産、生殖医療)に男性が参加しないことは問題と考え、助産学課程を修めました。また、その後進んだ難病看護、訪問看護では積極的に小児難病・障害児に関わりました。

その中で「この子のために、死ぬに死ねない」と話す親御さんや、障害児が生まれたがために離婚し家庭崩壊した例、すくすく育ったのに、病気や事故で突然、重度知的・身体障害となったお子さんなどを目の当たりにしました。ご両親は彼らのために全てを捧げていましたが、重い障害を持った子供たちは、老いた親を援けることも弔うこともできないどころか、ときに親より早く死んでしまうのです。

ある仕事場の近くのコンビニにはいつも、白髪のダウン症の「おじさん、おばさん」が買い物に来ていましたが、一人では買い物もおぼつかず、訳知った店員さんが助けてあげていました。それでいいじゃないかと言うのは、外野の思い上がりと感じます。子供の頃のお使いを思い出して下さい。本人は、うまくでできないもどかしさ、不安、苛立ち、情けなさ……。知的障害でも(当然身体障害なら)感情はありますから、感じるはずです。それが一生続くとしたら……。

生まれた後の不慮の病気や事故は避け様はありません。しかし、まだ胎児となる前ならば……。
我が親は「ただ五体満足であれば、他には何も望まない」と私の誕生に際し願ったと聞きます。それは親なら誰もが想うのではないでしょうか。それが受精卵、出生前診断の存在意義であり動機です。

出生前診断を語るとき、必ず「優生思想、障害者差別だ」という意見が出ます。しかし、それは論理のすり替えあるいは飛躍です。生命は人間は確かに平等です。しかし、生きるために必要な能力も、社会が与えるものも平等ではないし、平等にすることも現実にはできません。当然、今既に生きている障害者に害が及ぶことも有り得ません。

「障害は個性」「障害児も可愛い」等と言うのは、容易く耳障り良いことです。心からそう信じられる当事者の親御さんご家族は、それで良いと想います。
しかし、そうでない親や家族、現実に護る人、亡き後の困難や苦しみが待っている障害児(正確には受精卵)本人、彼らに、誰が何を強制強要できる権利があるのでしょうか。その幸せを誰が保証できるのでしょうか。

30人に1人が体外受精児、さらに晩婚化、高齢出産化、少子化で実質子供は一人かも知れない現況では、たった二つの受精卵、正常異常どちらを選ぶかという選択も生じます。子育て層に低所得者が増えている現状では、親の扶養能力が一人分しかないこともあります。私自身、障害児を支える経済的能力はありません。その選択は、両親にも家族にも社会にも死活問題となり得ます。

現実には子の人生に責任を「持たされ」面倒を見て支え続けるのは両親なのですから、子供の未来のための選択と決断が許されるのは、他人でも国家でも法律でもない、両親であるべきです。少なくとも第三者の「外野」が、当事者の親にどうせよ、と強制する権利はないと思います。そして、「防げる苦しみを防ぐことは、悪ではありません」。

胎児中絶すら認められている以上、出生前、受精卵診断は禁止されるべきではないし、その結果を受けての処置の選択は、両親の自由であるべきです。ただし医療と社会は、その重大な生殺与奪の選択に必要な責務、教育や支援を果たさねばなりません。

上野公園の木陰に佇む野口英世像の碑文には「人類の幸福のために〜PRO BONO HUMANI GENERIS」と刻まれています。支援者のロックフェラー氏は、感染の危険を顧みず彼の遺体を迎えに渡航したそうです。このほど逝去された「スポック氏」に、「スタートレック」の仲間たちはこう言いました「One of the happiness are proir the many of happiness.」。大切なことは、生まれ来る子の幸せのために必要なことは何か、私利によらず考え、為すことです。


引用元:
出生前、受精卵診断は両親の自由であるべき (40代・看護師)(朝日新聞)