先週の1月17日土曜日で、阪神淡路大震災からまる20年が経(た)ちました。私は神戸市東灘区の自宅で被災しましたが、特に節目の年だからと言って特別の感慨はなく、ただただ復興を祝い鎮魂を祈るのみです。震災を知らない世代が大人になって行く中、節目の年としてテレビで特集などが組まれ、震災を思い出したり知ったりするきっかけになってくれたならよかったと思います。

「グッジョブ!」子供の声、都の騒音条例から除外へ
 東京都が、騒音条例から子供の声を除外するよう改正するという報道がありました。園児の遊ぶ声がうるさくて迷惑であるとして、保育園や幼稚園の建設に地元住民が反対するということが各地で起こっているというニュースをこれまでに見聞きしてとても残念に思っていましたが、東京都の条例改正には「グッジョブ」と思いました。

 確かに小さな子供は、泣いたり興奮してはしゃいだりすると非常に大きな声を出します。建物の中で発せられるならまだしも、大勢の園児が庭で遊んでいる時間帯には、近隣にはそれなりの大きさの騒音がもたらされることでしょう。それを迷惑だと訴える権利もあるでしょうが、誰にも迷惑のかからないような場所に保育園を建てると言ってもそんな場所は都会にはありませんし、非常に利便性の悪いところしか保育園を建てられないとなれば親の負担は大きくなり、少子化対策としてはマイナスであることは想像に難くありません。

 児童福祉法に「すべて 国民は、児童が心身ともに健やかに育成されるよう努めなければならない」とあります。今「子供の声は迷惑だ」と言っている人も何十年も前には大声を出して遊んでいたでしょう。

「エンジェルタイプ」の子供ばかりでなく…
 また、「親や大人がきちんとしつけたり配慮を欠かさなければ子供の大声を制御できるはず。騒音は親の怠慢である」という意見が必ず出てきますが、そんな「エンジェルタイプ」の子供ばかりではありません。正常発達でも幼児はえてして多動で、常には親のコントロール下にないものです。全ての子供を「しつけ」で静かにわきまえさせることができるというのは、子供の声という騒音に煩わされたくないけれども自分が狭量だとは認めたくない人の幻想です。

 進む高齢化と長引く低出生率のため、子供や子育て世代の人口比は減っています。都市部へ人口が集中し建物が密接していることに加え、日常的に子供と触れ合って慣れている層はすでに少数派であることも「保育園の建設反対」という声が大きくなることの原因ではないかと思いますが、幼児のころくらい誰にも気兼ねせずはしゃぎ回った方が健全な大人に育つと思います。ましてや昼間だけですし。

「親」や「母親」、十把一絡げにしないで
 そして、少し話はずれて恐縮ですが、騒音や電車のベビーカー問題、子連れ外食問題など「子供や子連れが迷惑」というトピックでは、「最近の親はすごくマナーが悪い」などのように、全国の「親」や「母親」をひっくるめて批評する声が必ず上がります。常々違和感を覚えているのですが、それまでそれぞれが全く別の世界や価値観で生きてきた人が、妊娠したり子供を持ったりすると突然全員同じグループにカテゴライズされるということです(それまでいろんなジャンルのファッション雑誌を読んでいた女性が、皆「たまごクラブ」「妊すぐ」など妊婦全員を対象とした雑誌を読むしかなくなる、というのが象徴的です)。子供を持ってなくてもマナーが悪い人や非常識な人もいるのに、子供を持った瞬間に「親」として十把一絡げにしないで欲しいと感じることがあるのは私だけでしょうか…。

 都市部では住宅も狭く、家の中でも触ってはいけないものばかり、という環境で育っている子供たち。思う存分はしゃいで走り回って育つことができるよう、ぜひご理解ください。



引用元:
子供の声は騒音? 「親の怠慢」という意見もあるが… (ヨミドクター)