阪神・淡路大震災当日、県立西宮病院で岩出彩を取り上げた堀謙輔(45)は、医師になって1年も満たない新米産婦人科医だった。1994年春に大学を卒業。大阪府内の病院へ配属予定だったが、急きょ変更され、同年7月、県立西宮病院に赴任した。

 「変更さえなければ、震災を経験することはなかった」。堀は自身の運命を顧みた。

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 西宮市内のアパートで被災。前夜は仕事が遅く、着替えもせずそのまま寝ていた。揺れの直後、車に乗って午前6時には病院へ。産婦人科病棟で患者や新生児の無事を確認した後、押し寄せるけが人の治療に追われた。

 「診てほしい」。男性が抱えて運んできた5カ月の妊婦は、すでに冷たくなっていた。災害では生きている者を優先する−。「残念ですが」と告げると、「そうですよね」と男性はそのまま病院を後にした。心肺停止の患者に蘇生を施していた別の医師には、治療しないよう伝えた。

 平時では考えられない局面。「患者に優先順位がある」。医師1年目にして痛感した災害現場での決断だった。そうした混乱の合間に取り上げた彩の存在は正直、あまり記憶には残っていない。

 ただ、あの日。医療器具は負傷者の治療に回され、産科で使える手術道具は無かった。無事にお産が終わってほしい−。その一心だった。新たな命の誕生に「感動よりもホッとした」と振り返る。

 堀は震災翌年に結婚。子供2人をもうけた。「『人はいつ死んでもおかしくない』と認識した。命はつないでいかないといけない」と思った。現在は関西労災病院(尼崎市)で産婦人科とともに緩和ケア科にも所属し、末期がん患者らと向き合う日々を送る。

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 助産師として堀とともに彩を取り上げた神谷美紀子は、神戸市東灘区の自宅マンションが全壊。夫は避難所へ、神谷は病院内のソファで寝泊まりしながら、勤務を続けた。

 震災の日の午後、ある医師が産婦人科病棟5階の窓から被災したまちを見つめ、神谷にぽつりとこぼした。「これじゃあ助かる命も助からない。医療にも限界がある」。

 その言葉に、神谷は「こんな日でも赤ちゃんが生まれ、希望をくれる。私たちはそれに助けられている」と強く感じた。震災で一瞬にして多くの人が亡くなった一方、病院では命が誕生し、治療で一命を取り留めた人もいた。

 「希望の場所」。神谷にはそう映った。

 震災後、「生きているうちに、世の中のためにできることは何だろう」。そう考えるようになり、神戸市看護大で修士課程を修了。今はお産の現場を離れ、池田市立池田病院(大阪府)で医療安全管理の部門に身を置く。

 あす17日で20歳を迎える彩に「あの日、(多くの人に)希望を与えた存在だ、ということを覚えていてほしい。少なくとも、私はあなたの誕生に希望をもらったのですから」とエールを送る。

 そして、彩が生まれてから約4時間後、同じ病院で新たにもう一人の命が誕生する。



引用元:
あの日に生まれて〜20年のあゆみ(5)希望の場所(神戸新聞‎ )